キース・ジャレットのパリ・コンサート
- Keith Jarrett
- Paris Concert
ピアノ・ソロに絞って一枚選べ、といわれても困ってしまうほど。
だけど、ぼくはこのアルバムはいろんな人に勧めたいです。
まず、クラシックが好きな人。
最初の出だしから、圧倒的です。
きっと、これを聴いたクラシック好きな人は、ジャズピアニストって誰でもこんなふうに即興でバッハのような演奏ができるの?っと勘違いしてしまうほど、よどみなく、また同時に正直な演奏です。
ちなみに、こんな芸当はキースにしかできませんから安心してくださいね。
次に、ジャズが好きな人。
あれ?これまんまクラシック?と、思いはじめた6分過ぎぐらいから、だんだんと深い闇のような世界が広がってゆくんです。
左手の、低音のオスティナートに対して、右手が徐々に物語を紡ぎだす瞬間の臨場感がとてもいいんです。
ちなみに、ぼくはキースが演奏中にあげる嗚咽のような声に関しては、正直苦手です。
でも、9分過ぎからうるさくなってくるキースの「ウィウィウィ~」もなぜかあんまり気になりません。
11分ぐらいから、スケールの練習か?と思うようなフレーズが執拗に出てきます。
ここら辺は、ジャズ・ピアニストの悲しいSAGA(性)を思わせます。
ジャズという音楽はいつからか、とっても狭いカテゴリーの中に押し込められた感がありますが、このアルバムの演奏を聴くと「一体どんだけ自由な音楽なんじゃ?」とため息をつくほどです。
クラブ・ミュージックが好きな人。
実は以前まで、僕は勘違いしていた節がありました。
今となっては、クラブ・ミュージックが好きな人って、いろんな音楽を最も抵抗なく受けいられる人種だと思っています。
その根拠は、クラブ・ミュージックがありとあらゆるジャンルの音楽を呑み込んでゆくヴァイタリティを持っている、という事です。
一昔前までは、ジャズがそうだったと、僕は信じていました。
ところが、いつになっても相も変わらず、排他的で自己完結的な世界に満足し固執するジャズ界に、少なからず失望しています。
このキースの純粋さを、もっとも新鮮な耳で受け入れることができるのは、もはやクラブ・ミュージックを聴いている人たちではないか、とさえ思ってしまうほどです。
勿論、異論もあると思います。
クラブ・ミュージックもここ数年でジャンルの細分化が急速に進み、ジャズ界が辿ったような無意味な住み分けが加速しています。
悲しみと怒りと祈りが混じったような、激しいサウンドが25分から27分にかけて、少しづつ不思議なミニマルな方向に変容してゆきます。
僕は、これこそ本物のトランス・ミュージックだと思います。
そして、どんな音楽も基本的にはトランス的な要素を持っているとすれば、最終的にはこの世の中の音楽は、こうしたハイ・クオリティな音楽と、そうでないものにわかれるのではないか、と思います。
最後になりましたが、ブルースが好きな人。
ぜひ、このアルバムの最後。(おそらく、アンコール曲だと思われます)
「ブルース」という曲を聴いてください。
間違いなく、楽しめると思います。
ジャンルは関係ない、とかいいながらもこうしてジャンルに分けて一枚のアルバムを説明している僕自身、十分そのジャンル狂想曲の奴隷者なのかも知れませんね。
長々と失礼をばいたしました。