10年前の11月30日に焼酎を一本飲んで以来

10年たちました。

さけを飲まずに過ごすことはなかなか大変です

でも

10年前には想像もつかなっかった幸福があります

本当です

さけを飲まずに過ごすことはなかなか大変です

でも

さけを飲まないことでしか

幸福にはなれません

ミーティングに通いながら多くの気づきをもらい

世の中のこと

教えてもらいました

アルコール依存症という病気のため

世間しらずに

なっていたと思いました

いろいろな苦労たくさんしている方々のことを知らずにいました

自分中心で

ものごとを考えている

わたしがいました

気づきませんでした

わがままでした

だれもわかってくれない

だれも助けてくれない

だれも認めてくれない

だれも

だれもだれも

でも

わたしのことを理解してくれていた人たちを切り捨てていたのは

わたし自身でした

わたしのことを助けようとしてくれていた人たちを切り捨てていたのは

わたし自身でした

心から大切にしてくれていた人たちの気持ちを踏みにじっていたのは

わたし自身でした

アルコール依存症という病気のせいなんです

いつのまにか

アルコール依存症という病気のせいで

そんな自分になっていました

でも今は

理解されることより

理解することを

愛されることより

愛することを

わたしが望むようになりました

夢の中で

また さけを飲んじゃった

しかも二日連続で

 

なにげなく 缶ビールを飲んでいて

美味しいとか 酔ってしまったとか

ぜんぜん感じずに ただ飲み終わると

どこからともなく 「あいつ また 飲んじゃった」

 

その瞬間 ひどい絶望感におそわれて目が覚めた。

 

いつもは ああ夢だった 良かったって思うんだけど

このところ 心の状態が悪くて

夢と現実 さかいめが あいまいになっていて

いつもとは逆に 落ち込んでしまった。

 

こころが弱っているときは

本当に飲んでいたかの気分になる

夢から覚めても気分が悪いのです。

 

こんなに心の状態が悪くてつらいと

9年11か月 さけを飲んでいないことが重い。

こんなにダメだと いっそのことって

死んでしまいたいとすら考えます。

 

回復していない自分が嫌になる。

 

誰かのために さけをやめている訳じゃない。

自分のために やめている。

 

自分を大切にするために。

 

でも みんなのおかげで やめ続けられている。

 

わたしは、のんでいた時に、たくさんの人たちを傷つけた。

そして、わたし自身も傷つけた。

そうしようと思って行動していたわけでは無い。

ただ、自分が狂っていたと思うほかないのだろう。

まったく世界がゆがんで見えていたのだと思う。

 

アルコールの海の中で、ただおぼれるのを待っていた。

人生は、うまくいかない。

傷つけられたり、裏切られたり、見捨てられたり、

それは、自分の問題ではなく、他人のせいだと思っていた。

自分はがんばっているのに、一生懸命やっているのに、

まわりの人達は、足を引っ張ることばかりする。

 

それは違う。と思えたのは最近のことだ。

わたしは、他人の足を踏みつけていたのだ。

相手も、わたしの足をふみかえした。だけなのだ。

意識的、無意識なのはともかく。

やってやろう、と思っていたときもあるが、冷淡な意識下で

かくしていた。善人を装っていたとおもう。

 

ただ淋しかった。つらかった。苦しかった。悲しかった。

なんで、わたしだけ。こうなるのだろう。

なんで、わたしだけ。みじめなんだろう。

なんで。なんで。なんで。

そう思いながら、一人でさけをのんでいた。

 

でも、他人をばかにして、見くだし、軽蔑していたのは、

わたしのほうだった。

わたしのほうが正しい、相手は間違っている。と。

 

まわりの人は、みんな気づいていたのだろう。

そして、わたしは誰からも相手にされなくなった。

ほんの一握りの人をのぞいては。

でも、その一握りの人達すら、

わたしに振り回され、傷つけられ、はれ物にさわるように

トウマキに顔色をうかがいながら、辛そうにしていた。

 

自分でもどうしたらいいのか、わからなかった。

ただ、アルコールの海の中で溺れるのを待っているだけだった。

 

そして、自殺未遂を何度もくりかえした。

アルコール依存症専門の精神病院につながった。

 

おさけをやめてから、いろいろ変わったけれど

物質的なこと、ばかりかなあ?

公団に当たり、家賃は16000円、自家用車もある。

よくできた嫁さんもいる。

大きなベッドがあり、大きなテレビがあり、大きな冷蔵庫もある。

 

でも、睡眠薬に精神安定剤をのみながら、日々せいかつしてる。

9年9か月たった今でも、酔っぱらっている。

アルコールが薬物に、シフトチェンジしただけかな?

 

依存症は完治しないというけれど、

のまない、使わない、やらないことで、

回復はある!と、いうけれど。

 

でも、回復するためには相当なエネルギーもつかう。

まず、のまないためにミーテイングにかようこと。

そのなかで、自分がうけた傷をいやすこと。

自分があたえた損害、しうち、きずを思い出すこと。

また、自分がおかした罪を悔いること。

 

そんな毎日は身を切られる様に、つらいときもある。

でも、わたしはゆるされて今があるのだ、

と思うと、何とも言えず、ありがたいと思うときも多い。

 

いま生きているのだから。

 

わたしは、生きていることが、つらくて自殺未遂を

何度もくりかえした。また、罪をつぐないたくて、

保険金めあてに自殺未遂を何度もくりかえした。

 

のまないでも、精神的な底つきは何度もくりかえした。

のまないでも、精神病院に入退院をくりかえした。

 

生きていくことは、たいへんです。つらいことも多いです。

 

でも、生きていこうと思います。

せっかく与えてもらった命だから。

あしたは、もしかしたら死になさいと言われるかもしれないけれど、

きょうは、力のかぎり生きなさいと、言われていると思うから。

 

きのうは、おさけのかみさまは、

明日やめればいいじゃん!て、言うって書いちゃったけど

だから、今日はのめばいいじゃん!

ていう意味だけど、今日は間違っていたと思い、訂正します。

 

おさけのかみさまってかいたけど、それは違うと思う。

 

依存症のかみさまだと思う。依存症のかみさまは、きっと、

今日も飲みなよ、明日も飲みなよ、ずーっと飲みなよって、

思ってる気がする。体こわして、心もこわして、きっと、

いのち無くなるまで、のんでもいいよって、言う気がする。

 

つらくて、つらくてショウガナクナッテモ。飲みなよって、

肉体依存、精神依存どうしょうもなくなったてって、

幻覚見えたって、幻聴聞こえたって、どうにもならなくても、

 

のんでいいよって、のみなよって、依存症の神さま言う。

 

でも、おさけのかみさまは、もうだめだよ。

バッカスはもうだめだよって、教えてくれる様な気がする。

あなたの、おさけはもう終わりだよって、充分飲んだよって、

あなたの分は終わりだよって、ね。

大好きだよって言っていた、おさけはだめだよってね。

 

そして、本当のかみさまは、だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。

いっしょに、今から、のまないで生きよう、って言ってくれると思う。

 

なぜか、父の実家にいて日本酒を飲んでいた。

たりなくなったので、酒屋さんに買いにいった。

黒松剣菱はよくなかった思い出があったので、

別の剣菱を、2500円くらい出して、買って帰った。

封をあけ、栓をあけ、コップに注ぎ、一口のんだ。

 

なんで、こんな事しているのだろう!!!

何年ものんでないのに!!!

 

そしたら目が覚めた。ほんとうに絶望した瞬間だった。

夢だったんだ。

ほっとした。

こころから良かったと思った。

 

夢の中で呑めてヨッカッタ。

あの絶望を、こころの芯から感じられて。

 

明日から、やめよう。

いまから、やめよう。

 

どちらを選ぶかは、じぶん次第だけれども。

どちらにするかは、じぶんで決められるのだろうか。

 

お酒の神様が、勝手に決めてしまうのでは、ないのだろうか?

そして、お酒の神様は、明日からやめよう、

と、勝手にきめるのでは、ないだろうか?

そして、明日になっても、また、明日からやめよう。

と、言いつづけるのでは、ないのだろうか?

 

でも、本当の神さまに出会えたら・・・・

 

アンブレラツリーを七年まえにダイソーで買いました。

100円でした。お金がなかったので、仕方なくです。

高さが10センチほどだったのですが、4回ほど鉢を変え、

いまでは、70センチくらいになりました。

ウドンコ病になったり、クロホシ病になったりしましたが、

農薬をつかい(カダンです)乗り越えました。

そんなこともあってか、すこしミテクレが悪いので、

もう少し涼しくなったら、剪定しようと思います。

 

アレカヤシもダイソーで100円で買ってきました。

三本で一組だったのですが、一本づつに分けてやり、

一本は枯れてしまいましたが、残りは20センチと、

15センチくらいになり、とても元気です。

 

2週間ほど前、パキラを300円で買ってきて、

アレカヤシと同じ、缶の鉢にうえました。

今はパキラもアレカヤシも20センチくらいですが、

これからが、とても楽しみです。

 

メダカのほうですが、ヒメダカを飼い、クロメダカを飼い、

そしていまでは、赤メダカを飼っています。

ヒメダカとクロメダカは殺してしまいましたが、

赤メダカは、ヤフオクで4年まえに幼魚で購入してから、

初めて、水草をいれました。ホテイアヲイは、貝にたべられて

しまったので、100円のとてもメジャーな水草をいれました。

 

すくすく成長して、今では睡蓮鉢いっぱいになり、小さな花も

咲かせています。なんの世話もしていないのに、

とてもケナゲです。ほんとうに水替えぐらいしかしていません。

 

赤メダカは、3年から繁殖しだして、今年も40匹ほど

生まれました。母や友人、知人のところに分家しています。

 

酒をのんでいたころ、飼っていた猫は、実家で健在ですが、

まったく相手にしてくれません。ひどかったものね。

 

酒をのまなくなってから、ずいぶん年を重ねましたが、

怒り、不安、恐れ、いらいら、焦り、などなどの感情は、

年を重ねるにつれて、少しずつですが、減ってはきています。

信じられないかも、しれませんが「なるようになる」という、

言葉をだんだん、受け入れられるように、なりました。

 

「なるようになる」なんて無責任で勝手な言葉だろう。と、

聞かされたときは思いました。自分には「ああなりたい」

「こうなりたい」「こうしてほしい」「ああしてほしい」と、

ないものねだり、ばかりをして怒りや焦りに心うばわれて

いたのですが、いまを大切にしっかりと生きていく。

自分の今を受け入れること、が、できるようになりました。

いい自分も、いますが、ダメな自分、嫌な自分、などなど

否定的な自分も今ある姿なのだ、と認めてあげて、

自分を大切にすること。自分を赦すこと。自分を愛すること。

 

自分を大切にすること。自分を愛すること。自分をゆるすこと。

は、ぜったいに、自分にしかできない事なのですから。

大切にされたり、愛されたり、たくさんたくさん周りのひとに、

されていても、なぜか孤独をあじわい、淋しさに心うばわれて、

むなしい思いをつのらせていた、わたしは今、やっとの思いで

自分を大切に思うことができるようになりました。

 

どんなにダメで、情けなくて、不安で、孤独で、嫌いであっても、

わたしは、じぶんを大切にして、愛したいとおもいます。

のまない生活がつづいています。

ただ、のまないだけです。

 

ぱちんこ台にも、5年くらいすわっていません。

 

処方薬も、ほぼ定時定量。のみ忘れるくらい。

 

たばこは、かんべんしてください。

 

でも数回の入院歴あり。

 

でも、7年くらいまえに、甘酒をふたくちすすっちゃた。

 

これって、スリップ???

 

一滴もっていえるかな?

 

のんじゃダメって言われて16年半。

 

何度スリップしたことだろう、本気で飲むって騒いだこともあった。

 

ただ、のまないこと、一日でも長く、一分でも長く。

 

からだも、こころも、だんだん回復していく。

 

のまないで生きる。

 

わるいこと、ばかりじゃ無い。

そればかりか、のんでいた頃より、素晴らしい人生がある。

最初の何年かは、つらいこと、くるしいこと、

のんでしまいたいことが、とても多かったけれど、

最近の何年かは、たのしいこと、うれしいこと、たくさんあります。

 

人生だから、つらいこと、くるしいこと、あります。

でも、のまないでいればこそ、のりこえることができます。

 

酒しかなかった人生から、喜びをうみだす人生にかわりました。

 

愛と共感とやすらぎの人生です。

平成13年3月にアルコール依存症と診断を受けて、もうすぐ15年になります。


相変わらず、無職ですが2回目の結婚をしました。

市営住宅にお世話になり、障がい者年金で生活をしています。


観葉植物は元気に育ち、カボックとテーブル椰子が居間でお留守番をしてくれています。

睡蓮鉢では、黒メダカが一匹と赤いメダカが9匹、元気に泳いでいます。


とは言っても一年すぎたのは黒メダカだけです。