先日、銀行のATMで操作を終えた年老いたおばあさんがATMから聞こえた『ありがとうございました』の声にお辞儀をしているのを見かけた。

何も気にならない人も多いとは思うが、ふとした時に、「そう言えば」となんだか違和感を感じることがいくつかある。

お店に入った時に
『いらっしゃいませ』
という女性の声、というか音。

出て行く時に
『ありがとうございました』
と無感情な声、というか音。

銀行のATMやコンビニなどでのチケットを買ったりする機械で、操作を始めると
『いらっしゃいませ』
と言う。
というか鳴る。

操作が終わったら
『ありがとうございました』
と言う。
というか鳴る。

エレベーターやスーパー、ファミリー向けのレストランなどなど様々なところで明らかに「人」の声ではない『いらっしゃいませ』や『ありがとうございました』を聞く。

中華料理屋に至っては
『ファンインクォンリン』
最初は何をいっているのかわからなかったが、
『欢迎光临』→『歓迎光臨』
つまり『ようこそ、いらっしゃいませ』ということらしい。

最近では当たり前のようになったが、そもそもは人件費削減や効率化のために、今までは人がやっていた仕事や作業が機械に変わったもの。

本来『いらっしゃいませ』や『ありがとうございました』は感謝やお礼の気持ちを表す【言葉】。

以前は当然、お客様をお迎えするのに【歓迎の気持ち】を込めて『いらっしゃいませ』、お帰りになる時は【お礼の気持ち】を込めて『ありがとうございました。またのお越しをお待ちしています』と「人」が話していた。

レストランなどのお客さんの満足度は料理の美味しさや出来映えもさることながら、お店の佇まいから始まり、お店の中の雰囲気、食器や調度品、対応してくれるスタッフのお持てなしや笑顔、お見送りまで全てがお客さんへのメッセージ。
『このお店良かったね、また来ようかな❣️』と思う中には料理以外の要素も大きい。

最後の決め手を機械の音で締め括られてしまうのはなんだか味気ない。

もちろん、ご夫婦でやってる料理屋やおもてなしを大切にしている旅館や美容院、その他色々、そういった機械を使わずに「人」が応対しているところも数多くある。

 話は飛ぶが昔は路線バスでも運転手以外に車掌と言う乗務員が乗っていて、切符を切ってくれたり、降りる時には『ありがとうございました』と声を掛けてくれていた。

自分には《ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・シ・タ》と、音が鳴っているだけのように思える。

今となってはそんなこともう当たり前のこと。考えることすらなく、サラッと流してしまうことかもしれないが、誰かが始めたものがもう普通になってしまった。
機械化されたものを、元に戻すなんてことは到底できないが、人同士の挨拶や会話が進化なのか退化なのか少しずつ変わって来ているのはこんなところにも現れているような気がする。

かと言って今の機械音の『いらっしゃいませ、ありがとうございました』がなくなって無音と言うのも、それはそれで素っ気ないか?

段々と人間の領域に機械がとって変わって、いずれ占領されてしまって人間の役目は無くなってしまうのかなあ⁉️


先日、犬の散歩をしていたら前からやってきた小学生くらいの女の子がいきなり笑顔で
『こんにちは❣️』って元気な声で声を掛けてくれた。
思わずこっちも『こんにちは❗️』と笑顔で応えた。とてもいい気持ちにしてもらった。


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