お疲れ様です。
コロナの後遺症?で身体がダルい日々が続いており、
土日ほぼ寝てたら背中の筋を痛め、背中から肋骨が痛いサラリーマンです。
コロナ罹患からもう2週間が経とうとしてますが、どうしたら良くなるものか…
気の持ちよう?(笑)
さてさて、
追悼テリーファンクさんで色々と昭和の試合を見ていたら、
やっぱり私の知らない昭和時代のプロレスっていいなぁ…
なんて思いが強くなりつつも、
平成時代のテリーファンクさんに針を進めてみたいと思います。
90年代も後半にさしかかると、ファンクスとしての活動が少なくなり、
テリーファンクさんは、
ハードコアのレジェンドとして、単品でインディーシーンでの活躍が増えます。
WWFにチェーンソー・チャーリーとして上がったりしてたのも大変懐かしいですが、
基本は日本やECWといったところで活躍されてたイメージが強いです。
特にECWでは熱いプロレスが展開されておりました。
当時、WWFやWCWではストーリー重視のド派手なエンタメ路線のプロレスが主流でしたが、
俺たちにはストーリーラインや花火などの派手な演出なんていらねぇんだ。
俺たちは試合だけで輝ける。
という、どちらかと言うと日本寄りの試合内容重視のレスリングで見せてやる!
というようなメッセージ性がECWにはあったと思います。
どこかあらぬ方向へ行きそうなアメリカンプロレスを、
そうじゃねぇだろ!と。
レスリングの本質を思い出せ!という熱量がこの時のテリーファンクさんにはありました。
テリーファンクさんはリビングレジェンドとして迎えられ、
またプロレスビジネスの考え方や若手の育成まで、
このECWという団体の繁栄に尽力しました。
ハードコアスタイルのテリーファンクさんは、ショートタイツ時代とはガラリと変わり、
膝がめちゃめちゃ悪いためテーピングは分厚くなり、ロングタイツとなり、
テキサスの荒馬の本領発揮、破天荒なファイトで団体を牽引しました。
愛弟子のカクタスジャックとの試合などは、とても激しい内容でした。
火の付いた焼き印をカクタスに押し付けるテリーファンクさん。
そして、テリーはこの業界においては、
次の世代の若手を育てる事がとても大切だということを常に念頭においていた。
ECWの頭脳、ポールEデンジャラスリー曰く、
多くのベテランレスラーは過去の栄光にしがみつき、
自分のポジションを奪おうとする若手の台頭にいい顔をしないが、
テリーだけは違った。と。
テリーは若手にチャンスをどんどん与え、
自ら率先して若手と対戦し、若手の成長に一役買ってくれたと。
実際にテリーの指導を受けた若手は全員が伸びた!と語っていた。
とあるECWのビッグマッチでのこと。
レイヴェンの王座への挑戦権をかけた3ウェイダンスが組まれた。
1人は当時バリバリの荒くれ者のサンドマン。
もう一人はハードコアレジェンド、テリーファンク。
そしてもう一人は、
レイヴェンの子分から独立し、nWoを模したユニットbWoのリーダーに君臨していたスティービー・リチャーズだった。
この時、若干24歳の若者だったスティービーはナーバスになっていた。
サンドマンとテリーの相手なんて大役が自分に務まるのか…
他にも素晴らしいレスラーなら大勢いるのに…と。
スティービーはそんなことをテリーファンクに相談したそうです。
するとテリーは優しく、
ヘイ何言ってんだスティービー、お前ならもう十分に出来る、もっと自信を持っていい、お前なら大丈夫だ!
と、スティービーを勇気付けたという話。
スティービーはテリーファンクに励ましてもらい、教えを乞い、大変感謝していると語っていた。
誰からも愛されたテキサスの荒馬、テキサスブロンコ、テリー・ファンクさん。
プロレス界にもたらしたその功績は計り知れない。
今でもテリーファンクの意思を継いだレスラー達が世界中にいる。
フォーエバー!テリー・ファンク。
私はあなたのファイトを一生涯忘れることはない。
ありがとう。テリーファンクさん。
ゆっくり、安らかに、休んで下さい。
ジェリコの壁、かく語りき。