バスの停留所は、なんと茅葺き屋根でした。
旧和田村内のバス停は全てこんな感じです。


みなさん、こんにちは

今回は、中山道最高地点の和田峠越えです。
実際峠に向かう道は、大変細く険しかったので、アスファルトの舗装道路を往き、峠下のトンネル越えとなりました。

〈5月5日〉
 前日に甲府で駅近のビジネス旅館に宿泊し、この日各駅停車の電車で下諏訪駅に午前8時前に到着。今日と明日、2日にかけての道中となります。

駅からは、中山道沿いの諏訪大社下社秋宮へ向かいます。
こちら、下諏訪宿の温泉「綿の湯」の由緒書

更に歩みを進めると…‥

ここは、下諏訪宿の本陣跡です。

そして宿場の繁華街を過ぎると、慈雲寺の入り口にある「龍の口」を通りました。
 龍の口
(見ずらいですが、写真の真ん中に龍の顔が)

そして、山深く入って行くと、7年に一度行われる「御柱祭」で有名な、
木落し坂にやって来ました。

そして、更に進むと

樋橋茶屋跡 に到着。このあたりは、間(あい)の宿として本陣跡もありました。

歩き疲れてお腹も減ったので、甲府のコンビニで買ったお弁当をここで食べることとし、暫し昼食タイム。

こうして休息し、再びスタート。
上り坂を歩いて、歩いて「西餅屋茶屋跡」に到着。きっとこの茶屋は、その昔は賑わっていたのでしょうね。

ここからは、険しい細い山道が始まるので、愛車「シルバー号」での通り抜けは厳しいと判断し、引き続き国道を往くことにしました。

そして、ひたすら坂道を登り続けると、旧街道和田峠下のトンネルにたどり着き、そこを歩いて抜けてやっと東餅屋跡に着きました。

15時30分 本日の街道歩きはここまで。

それでは、本日宿泊する民宿「みや」に電話して、迎えに来てもらいます。

約30分後、迎えの軽自動車で民宿へ。その途中、私と同じように車に乗せる夫婦二人連れを拾って、「みや」に到着しました。

民宿「みや」

ちなみに、長和町(長久保・和田)には、宿泊処はここぐらいしかありません。
民宿の方の話では、街道歩きの人達は皆なこちらに宿泊するそうです。

鉄道もバスも不便なので、民宿「みや」さんでは、宿泊者を対象に車によるピックアップ、そして翌日同地点への送りを行っているとのこと。(別途料金はかかります)

私も利用して大変助かりました。


〈5月6日〉

 翌日は、6時半に朝食を頂き、7時15分に民宿の車で出発です。

尚、昼食用のおにぎり弁当を作ってもらい、水500cc一本を購入しておきます。

なにしろ、和田宿の街中にたどり着くまで道沿いにコンビニは無く、飲み物の自動販売機すら探すのは大変なので。

このように、今回の街道歩きは難関です。更に宿場と宿場の間の距離も中山道最長の約21キロもあるんです。

約30分かけて、昨日の場所に8時に到着。
それでは中山道の旅、再開。

ここから暫くは下り坂です。

こちらは山道に咲いていた桜です(山桜かな)

長野県のここは標高も高く、桜も桃もこの時季いっせいに咲きますね。

歩いていると、
木々が生い茂る中、小鳥のさえずりが心地よかったです。

地面に咲くタンポポと、白い桜の花びら

「永代人馬施行所」の案内板

こちらが「永代人馬施行所」

この永代人馬施行所は、江戸の豪商が幕府に金千両を寄付し、利子で旅人に粥、人馬に煮麦を施行した所だそうで、

豪商とはいえ、民(一般の人)がこのような方法で行うのは、大変珍しいことだそうです。

ちなみにその方は、江戸呉服町のかせや与兵衛(有隣)さんです。

こうして坂道を下り終え、長~い国道をまたひたすら歩き続けます。

途中、牛宿というあたりで昼食・おにぎりタイムにしました。民宿で作ってもらったおにぎりは、大きさがデカく食べごたえがありました。

そして、遂に和田宿の街中に到着できました。

ちなみにここに着くまで、コンビニは一軒もありませんでした。

和田宿 本陣

和田宿 脇本陣 

13時半頃、和田学校前バス停にたどり着きました。乗車を予定していたバスの時間より、1時間早かったので、

ここはもう一つ先の宿場、長久保宿まで行くことにします。

人家に咲く、桃の園芸品種「三色桃花」

次の宿までの間は、ゆるやかな長~い坂道(下り)・・・、
そして長久保宿が見えてきました。


こうして長久保宿に到着。

長久保からは、JR上田駅行きのバスが出ているので、15時05分発のバスで帰宅の途につきました。


今回は29.3キロ完歩、
中山道随一の長丁場、和田峠越えでした。

それでは、また
はいよー シルバー!