こんにちは
「おハム」です。
ゴールデンウィーク中、次男が帰って来ました。
4月に転職し、我が家から電車で1時間半弱の所からちょっと遠くなって2時間かかるアパートに引越しました(微妙に遠くなったのがなんか寂しい・・)
転職後初めて会うので、どんな様子なのか根掘り葉掘り聞いてしまいましたが、前の会社より居心地が良いことやアパートも快適だとわかり、ホッとしました
少し発達障害がある息子。
1人暮らしなんてとても無理だろうと思ったのにちゃんと自炊もしているし、転職も引越しもやってのけ、幼い頃のイメージはどこへやら、息子は驚くべき成長を遂げていたのだと改めて知りました。
私が料理を作っていたら、後ろからギュッと抱きしめて
「自分で作って大変さがわかったよ。お料理作ってくれてありがとう」
うゎ〜ん、感動です
実家に戻ってくる時はお昼前に来てそのままのんびり過ごし、翌日の夕食を食べて残り物を持って帰るがいつものパターンで、あっと言う間にいなくなります
普段家にいなくても全然平気なのに、たった一泊二日でもいざ帰るとなると寂しくて涙がポロリです。
「帰る息子」
「親になれば親の気持ちがわかる」
ふと、息子を見送りながら生前母がよく言っていた言葉を思い出しました。
その時の母は「子供を育てる親の苦労を分かって欲しい」の訴えだったと思うのですが、親になった今、その言葉の意味がわかったような、わからないような・・
時代的な背景もあるとは思いますが、母は「働かざるもの食うべからず」の家に育ったので休むなんてもってのほか、常に働いていました。
おまけに嫁ぎ先が怠け者の家だったため、益々働かざるをえませんでした。
努力と根性と忍耐をモットーに成果をあげてナンボ、それを認めて貰うことで自分の存在価値を感じていたようですが、自分を抑えこんでいた分、この苦労を子供達には分かって欲しい、と思うのも無理はありません。
「思い込み、意識が現実を作る」という情報が今ではポピュラーになりつつありますが、その当時はそんなことを知る由もなく、この苦労は自分で作っていると知ったら母はどうしていただろう・・。
休んでも良いんだって知っていたら、少しは楽に生きられただろうか。
自分の人生をもっと楽しんでも良いんだって知っていたら、その苦労は減っただろうか。
結局、母が感じていた苦労は本人しかわからず、私にはどれほどのものだったのかを推測するしかなく「親になれば親の気持ちがわかる」の言葉の重みはわからずじまいです。
でも、子供の後ろ姿を見送る寂しさはきっと同じ、
「この気持ちならわかるよ、お母さん」
今日は母の日
あちらでは幸せであれ、と天国の母に思いを馳せます