もう春も終わる。
人はなにで春の終わりを感じるか。花の散り様。山を染め始める新緑。
そしてそう春のパン祭りの締め切りである。
皿の交換は4月30日までなのでまだ紙がご自宅にある方は早めに対象店舗に行ってほしい。
しかし、北海道は5月までなのである。開始も他の地域よりひと月遅いらしい。
これを私は物流の都合かなにかと思っていたが
母に「3月なんて北海道は冬だもんね」と言われ目からうろこである。
情緒に乏しい自分が恥ずかしい。
こういった他方から違った視点を取り入れることができる。
かくも他者との交流は大事なものだと思わせられる出来事である。
さて、多様性の重要性を叫ばれるようになって久しい今日。
私は大変生きづらく息苦しい世の中になったものだなと感じている。
多様性という究極の武装をした人々が、旧来の考えをもってただ普通に生活している一般人たちをこの世で最も憎き悪であるかのように攻撃しているからだ。
「多様性を認めよ」とのたまうその口で「お前の考え方はおかしい間違っている」と罵ってくるのだ。
「それはひょっとしてギャグでいっているのか?」と往年のミームを使いたいところだが彼・彼女らは大真面目である。
簡単な話で「自分たちが認めるもの以外は悪。排除せよ排除せよ」というわけだ。
それは主観によるものが大きいので、たまによく頻繁に彼らの多様性村でも内ゲバが起こっているそうな。そりゃそうだ。
そもそも多様性の認められる社会とはなんなのか私はよくわかっていない。
私は私のやりたいようにやる(もちろん法律の許す範囲内で)
だからお前らは私のやることにとやかくいうな。
これが個々人で許されるのが多様性のある社会ではないのか?
なぜ他人のやることなすことに対して揚げ足をとるのか?あまつさえ晒すのか?
やはり私にはわからない。
もしかして多様性村の彼、彼女たちは暇なのかもしれない。