先日『女性性と自己肯定感』という記事を再々アップしましたが、
あれは、私の人生を簡単にまとめたものになります。
これまで自己肯定感の低さ
そして女性性の否定で苦しんできた過去
さらにそこから結婚し、
3人の子供達の出産を経験し
現在のように自分のペースでお仕事をしたり毎日を楽しんだり、コンテストにチャレンジしたり
どん底だ思っていたところから、
自由に、自分の言葉で、自分を表現できるようになるまでの経緯を話していこうと思っています。
読んでてしんどくなるような事も出てくるかもしれませんが
誰かの役に立てたらいいなと思い
誰にも話してこれなかった部分も今回は話していきたいと思います。
長編になりますので何回かに分けていきます。
【マイストーリー❶幼少期】
1978年11月生まれ
北海道札幌市で生まれ育ちました。
(2250gの低出生体重児だったので保育器での写真)
当時鉄筋工していた筋肉隆々の父。
元銀行員の美人で賢い母
3つ下に明るくて天真爛漫な妹がいます。
ワンマンですぐ思い通りにいかないとどこでもすぐに切れてしまう父は、
日常的に母に手をあげたりときには見知らぬ人と喧嘩になったりするような人でした。
母はいつも父に怯え、私は、母が困らないようにおとなしく粗相がないように存在を消すかのように無口な子でした。
とは言え父も機嫌の良い時は明るくひょうきんな人でしたけれど・・・。
母は花道も茶道も料理も完璧。頭も良くとても美人でした。ファッションセンスもよく洋裁の仕事をしていたので
私たち姉妹にも洋服を作ってくれたりもしていました。
共働きでも何でも完璧な母はとても優しく私の自慢の母でした。
私は大好きな母を困らせたくなくいつも自己主張はせずに欲しいものが欲しいと言ったことがありませんでした。
それが私の務めであり母が喜ぶことだと思っていたのかもしれません。
そんな私とは裏腹に天真爛漫で明るくてひょうきん者の妹。
いつもスポットライトは彼女に当たっていました。
私もそんな妹が可愛くて可愛くて大好きでした。
踊ったり歌ったり。私は妹と遊んでいる時間が本当に楽しかったです。
テレビの面白いところを何度も真似して2人でケラケラ笑っていました。
しかし、その明るい妹ですが父の地雷を踏むのはいつも彼女で踏んだ後、
母はいつも何時間も怒鳴られたりときには手を上げられたり
ーそんな場面を目の当たりしながらの日常はどんどん私の心の扉を硬く閉ざしていきます。
とにかく常に顔色を伺いながら、ビクビクしながら暮らしていたことを覚えています。
いつしか私は言葉数も減り自分の思いは世に出してはいけないと思うようになったのかもしれません。
そして誰かの目に映ることすら怖くなってしまいました。