この間友達と「自尊心あげてこ」
って話になった。
何故にこんなにも遠慮深いのか…
友達は、むちゃくちゃ優しい旦那様に
チョーかわいがられてるのに
「自立したい」と。
旦那様は彼女が幸せになることを
心の底から応援してくれてる。
彼女が「自立したい」と言ったら
お金があれば、セミナーとか
やりたいことできるといって
ポーンとお金をくれたそう
めっちゃええやーん
けど、彼女… 私はコツコツ貯めてるのに
と言ったらしい
そう、受け取り拒否
イヤイヤ!何でやねん‼
で、ある。
これ 知らず知らずやってること。
自分の事は自分で
私もあったわ〜、今でもあるよ
甘えちゃいけない…。
(マシになったけど)
人を頼ってはいけない、
果ては依存してはならない。
旦那さんの給料だけでやるのは心苦しい。
生活はまだしも、服とか化粧品とか
娯楽と呼ばれる部類は
使えねーよ
何だ、この制限
彼女に問われて(私と同じ状況で、旦那に
そんな大金貰ったら) 出した答えが
「無理、使えない 喜べない」だった
人の事は言えるのに
これって厄介なのが気づかないってとこ
生活費は使えるんだわ。
けど、自分を「満たす」ことに遠慮。
生活費を使えてるから、使える気になってる。
実際の贅沢品になるとよ!
「たまにはご褒美もいいよね〜」って
自分自身にいいきかせながら買う
たまにはって、何故に「たまに」しか
ダメなんだい
これは絶対必要だよね
あれ必要じゃないもの=贅沢品の方程式
こうやって突き詰めて 小さな心の奥を
覗いたら 出てくる出てくる
「昨日頑張ったし〜」って
頑張らないとサボっちゃいけないのかい
毎日堂々とサボりなから、毎日ご褒美
自分自身に与える…。
あれ罪悪感あるよね
ふっと、よぎる頭の中の言葉は
「毎日こんな贅沢したら、お金も尽きるわ」
「セレブの家じゃないんだから」
「こんなことしてたら人間的に良くない」
はては
「そこまでの贅沢は望んでないねん」
どうやら、馬車馬根性身に付いてる
一つ一つ、こういうところに
気づいてあげる。
たまにのご褒美、自分にあげれてるので
まるでちゃんとできてるかのよう。
スルーしがちなんよ
頑張ったし〜、の後 サボっちゃえてるから
サボれてると勘違いしてるんよ。
行きたいとこ行かしてもらってるって、
もらってるって誰の許可
ここの、ワンクッション すっ飛ばして
思った瞬間スッとできて初めて
課題クリアなわけ。
友達も私もお互い自由に生きてる
けど、心の奥にある「自尊心の低さ」
見えてるようで見えてない…。
知識はあっても、使えてないんよな。実際は。
心のクリーニングしていこ
そうそう、彼女がね
家でみんなでスイカ食べようってなって
切ったら 端じっこをとったらしい。
娘さんに「お母さん、そういうとこ」
って言われたって
子供に美味しい真ん中を…
私は端じっこでも「まぁいいか」
↑どこが食べたい 食べたいとこ食べようよ
日常に潜んでます
あっ、彼女は最終「私、愛されてたんだ」
って気づいたんだって〜
よかったね、改めて気づけて。
さぁ、自尊心あげてこ〜