自殺学入門 | boy+のブログ

自殺学入門


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社会的に自殺した人はいっぱいいる。
死とはどうゆうものか?

詩人や思想家は死について歌を歌っている。

ラングストンは
部屋代が天国へ送れるのならいいのにな。と

カフカは
なぜ、人間は血のつまったただの袋ではないのだろうか?と

ゲオルグゲオルギウは
もし世界の終わりが明日だとしても私は今日林檎の種をまくだろう。と

西田佐和子は
どうせあたしをだますなら
死ぬまでだましてほしかった。と

アンドレマルロオは
人生は何物にも値しない。
だが人生に値する何物も存しない。と

ゴダールは気狂いピエロで
見つかった、何が?
永遠が。という詩とともに自爆してしんだ。

だが本当の意味での自殺をした人は数すくない。
例えばギリギリにおいつめたれた中小企業者の倒産のような自殺は、自殺に思うが、実は他殺である。

ノイローゼで首を吊ったというのは病死である。

又は社会的不満や友人関係による自殺も他殺である。

よって本当の自殺は数すくない。

太宰治は
生きたい人だけは生きるがよい。人間には生きる権利があると同様に、死ぬ権利もある筈です。といっています。

藤村操知ってる人多いと思うが1903年3月22日自殺。
日光の華厳の滝へ投身し、日本自殺史に純粋自殺概念の確立をはたした。彼は松の木を削って厳頭の感と題した遺書を書きつけて滝つぼに身を投げ、そのはなばなしい死に方によって、自殺のイメージを一変させた功労者だ。哲学自殺だ。

永井善三朗の詩
おっかさん
ただもう一度だけ
ぼくをにんしんして下さい

いろんな本や映像を見、死についてかんがえる。

誰かがいってた。

大きな声ではいえないが
生きてる時間と死んでる時間は一緒なんだよ。
ほら死んでみなさいと。

自殺するためには
遺書をかかないと。
自殺する意味も。
後で新聞やニュースにかってな事をいわれると困る。
場所もメイクもヘアスタイルも全て
死が芸術に。

オスカーは
いくつもの生を生き、いくつもの死を知ったものは死ななければならない。といっている。

ただ自分を殺すという事は、多かれ少なかれ、他人をきずつけたり、時には殺すことになる。

わたしは鳥。
わたしはうしろに飛んでいくの。
なぜってこれからどこにいくかより
どこにいたか知りたいから。




死というのは
ただ人が後ろに飛ぶことなのだ。

本当に自殺した者だけが精神世界にいけるような気がする。
もちろん全てを知ったうえで。



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