東京板橋区「大山駅」界隈の廃屋群-7から更に先へ進むと、この無人の建物があった。

1階にはシャッターが降りたままのものと、その脇に扉があった。脇を見ると、ガスメータと電気のスマートメータが計2つずつ取り付けられていた。ここには別々の「会計」2つがあったと思われるが、それは他人様のご勝手であり、無人化との関係はたぶんない、ないだろう。しかし無人化した後に貸し出されもしないのにはたぶん事情がありそうだ。

金を生み、また金を食いつぶすのが仕事であり商売である。そんなことは明々白々なのだから、「空き家」も必然的に増える。増えて困ることはあるのかもしれないが、他人の私には何も関係ない。「いつまでもあると思うな女と金」でしかない。

 

少し前から不愉快なTVCMが流れている。

それは大手証券会社のもので、その会社の社会貢献事業の一環として、小学校で「お金きは何ぞや」と云うような社会活動を行っている風景が垂れ流されている。

だいたい、利益追求の最先鋒である証券会社の関係者が「お金とは何ぞや」を教えることが道理に合っているのだろうか。だいたい「経済の専門家」というのもかなり如何わしい。確かに法律に認められた範囲内で、他連手管を使って金儲けをし、いろいろ企てているのは確かなのだろう。そうした意味では「金儲けのやり手」の一面はあるだろう。しかしそんなものは個人トレーダーだってそうだろう。ある犯罪者が刑務所から出てきても仕事が何一つない。仕方なしに数少ない持ち金でトレーダーを始める。闇のような刑務所から出てきた人間が、今度は人間関係など何一つ存在しない古アパの真っ暗な部屋でパソコン画面を相手にトレーダーとして金を稼ぐ。これはどれほど人間的なことなのかどうかはさて置き、大手証券会社よりこの前科者トレーダーの方がかなり純粋に金を稼いでいる。経済にどんなスタンスがあるのかは知らないが、一途に金儲けに励んでいる男の姿がそこにはあった。

「経済」と云う言葉を妙味に使い込んで、子供たちに「お金とは何ぞや」を教えているそうした輩の下心は見え見えなのだ。

 

無人化した家々は「宝の山」なのだろうか、それとも地獄の三度笠なのだろうか。

どちらにしてもそうした建物は確実に増え続けているし、今後も間違いなく増え続けていく。

それを「経済」は救えるのか、或いはさらにそれを助長するだけなのかは、私にはよく分からない。

撮影日:令和4年12月24日