東京小平市「小平駅」界隈の廃屋群-21から更に先へ進むと、この無人の家があった。

ここにもお庭に高く伸びたシュロの木2本があった。別にこの廃屋旅は「廃屋とシュロの木」の関係を解きほぐす命題を持ったブログではないのだが、もはや一つの「インチキ臭い論文」なら書けそうなぐらいまで、見てしまっていることが妙に不思議だ。

そんなことは最初考えもしなかった。では他に何か神々しい展望?或は未来予想図?みたいなものがあっただろうか・・・と少し考えても、何一つ浮かばない。ただ一つ間違っていなかったことがある。それはたぶん「膨大な数」があるだろうと云う嫌な予感は、このまだ始まったばかりでも如実に表れている。

 

このアメーバブログは容量が大きいので選んだだけだが、それでも目いっぱいになって使えなくなるのは、目に見えている。だが私でもそこまでは考えなかった。

例えば、今は私鉄沿線駅前シリーズを主にやっているが、どこでも30ヶ所を上回る無人化した家々が目に付く。あまりにも目につくので、実際はかなり省いている。要は手抜きをしているのだが、それでもこの有様だ。ハッキリ云って、私の手に負えるものではもう無くなっている。それでも続けているのは何故なのか。いろいろ云いたいことはあるが、はっきり云ってよくわからないのだ。

 

今はメチャクチャ暑い。そしてもう数か月するとメチャクチャ寒くなる。

ここで見てきた事柄を誰かに楽しく語ることもなければ、自慢することもない。そんな「内容」のある事柄は何一つない。

所謂「廃屋荒らし」ではないから、妙なスペクタルもなけば、怪しげな作り話もない。

只々、普通の白々しい顔をした無人化民家を淡々と見ているだけなのだ。

撮影日:令和4年7月30日