東京中野区「新井薬師前駅」界隈の廃屋群2-16から更に先へ進むと、この無人の家があった。

大きく育った庭木の奥に立派な母屋があった。大きく育った庭木はそのお宅の過ごした年月を如実に表す。それはある種の威厳のように見えるが、見方をかえれば、長年この社会に馴染んできた奥深い時間の積み重ねのように見えなくもない。

それはこの家を囲んでいるブロック塀を見れば、分かるような気がした。

 

ブロック塀の耐用年数と云うのはどうなのだろうか。ネットで調べてみた。以下のようなことが書かれていた。

「きちんと手入れをしている場合、ブロック塀の耐用年数は、最大で30年です。厚さごとの耐用年数の目安は、15cmであれば30年程度、12cmで15年程度、10㎝は12年程度です。しかし、実際には、目安とされる年数の経過よりも早く寿命を迎えるケースが多くみられます。」

厚さで違い、それでも30年が限度。そして実際はそれより短いらしい。

家は30年でどうなるのだろうか。私は戸建ての家などに住んだことがないので分からないが、あのオンボロ長屋はずいぶんともったように思うが、それは単にもたせたに過ぎなかったように思う。現実には、ほぼ壊れかけていた。

 

ここのブロック塀もひび割れなど、だいぶ傷んでいた。それに比べると、遠目に見た感じの母屋は立派だ。例えば手入れを繰り返していたかもしれないが、ブロック塀はそうしたことが行われていた形跡はなかった。

 

塀は何かを守り、そして何かを隠す。それは決して悪いことではないが、やはり時の経過はそうしたものの各所に現れる。それをどうするかは当人の問題だろ。

ブロック塀に取り付けられていた郵便受けはテープが貼られ、塞がれていた。その貼り方もまたやけに丁寧だったのが、妙に私の心を動かした。何事にも粗野で粗暴な私が、「丁寧」に見とれるのもまた時の災いなのだろうか。

撮影日:令和3年12月30日