東京新宿区「落合駅」界隈の廃屋群-37から更に先へ進むと、この無人の建物があった。以前はマンションだったと思われる。

それほど古いマンションではないと思われるが、何故か丸々の空きマンション。当然のようにほぼ管理もされていないようだ、何がどうしたと云うのだろうか。

別にこうしたマンションと廃アパを比較する気持ちは更々ないが、それなりに大きいし、地の利も悪くない。だから目立つ。目立っても仕方のない理由で、無人化したと云うのだろうか。こう世間に知らしめると、この後、何かの理由で再度住人を求めても中々大変なのではないのだろうかと余計な心配が湧く。

何事も「再」と云うのは思うようにはならない。まず「同じようなこと」で再起を図るのは、何故かほぼ無理。どうしてかわからないが、知り合いの誰を見ても、何とかなるのは、全く別の事柄をやった場合で、同じようなことに再挑戦した奴は、また同じような失敗を結果として繰り返す。これはあくまでも私の知っている限りの情報だ。そして私自身、嘗て雇われ店長として働いた、飲食サービス業へ誘惑は、背に腹は代えられぬ窮地では何度かあったが、結局同じ失敗を繰り返すことはわかっていたし、今度は年齢からしても命に差し支える可能性もあると思い、決して手を出すことはなかった。そうした安易な方法を取らない偏屈さが、私にはある。何故だが分からないが。

 

人さま所有物である廃屋や廃アバ、そして廃マンはどれもを見ても、孤高に感じる。嘗てそこにあっただろう「賑わい」がどこかに微かに刻まれているから、余計に侘しく見えるのかもしれない。しかしそれはそれだ。最初と中身も、そして最後が全て華やかなオリンピックなど例外だし、どこかにまやかしが含まれている。そんなもので、私達は生きているのではなく、もっと地に足の着いた生き方をしている筈だと思いたい。

撮影日:令和3年8月28日