東京新宿区「落合駅」界隈の廃屋群-32から更に先へ進むと、この廃屋があった。

正面から見ると、その2階前面はとても面白い姿をしていた。

一面ガラス張りだが、大きな1面ガラスがはめ込まれているのではなく、何故か小型の窓がいくつも組み合わせた姿がそこにあった。

それらは普通の透明なガラスもあれば、曇りガラスも混じっていた。元々そうだったのか、それとも何か理由でもあってそうしたのだろうか。

このカラス張りの部屋はいったい何だったのだろうか。今では当然のように空っぽで、何もないが、嘗てはそこに何かがあっと見るのが正しいような気がした。いやそうではなく、単に日差しの取り入れ場だったのか、それとも洗濯物干し場として利用していただけなのだろうか。

そうした見かけとは違い、母屋の至る所は傷んでいた。例えば、そのすぐ下のトタン敷き庇は既に歪んでおり、その右上の閉め切られた窓にかかる木製雨戸は既にボロボロだった。それでも表札は張り出されたままだ。そんなものは気にならない人も世間にはいるだろうし、自分の名前を心底大切に、何か魂を守るかのように慈しむ人々もいる。どちらがどうなのかはよく分からない。

 

表札を壁から剥ぎ取って廃屋化している民家もあれば、ほったらかしのそれもある。

ご飯も飽きないが、私は自分の名前も然程飽きない。まぁー飽きる程慈しんできた記憶も無いが、やがてそれも消える。

 

そう言えば、今の住所に引っ越してきたとき、自分の本籍のことをどうしようか考えた。

私は結婚したことがないので、今でも両親の戸籍に入ったままだ。しかし両親は既に他界しているので、この世には存在しない。それでも私が両親の戸籍に入っているので、両親の戸籍は便宜上残っている。もし私がそこから戸籍を抜き、どこかに新しい本籍地をつくると、両親の戸籍は名目上も消える。そのことを年老いた姉さんに相談すると、「せっかくだから、残しておいてやりなさいよ、どうせ今更、あなた結婚なんかしないんでしょう」と言われた。

これも親孝行の一つなのでしょうか。

撮影日:令和3年8月28日