東京新宿区「落合駅」界隈の廃屋群-22から更に先へ進むと、この廃屋があった。

門の脇に看板が出ていた。「華道」の仕事をしていたようである。

私は華道も茶道も何も知らない。だいたい「○○道」と言うようなことには全く興味がないから、そこではどんなこが教えられ、そして何が学ばれているのかも全く知らない。だけど、たまにそうした組織内でお家騒動のようなことが、表面にあらわれることで、それらが社会的な一員であることを知る程度だ。そう言えば、ずいぶん前にお茶やお花ではないが、前衛舞踏家の花柳幻舟と言う人が家元を切りつける事件を起こした記憶がある。よくテレビなどに出ていた人だ。まぁー権威やお金やその他諸々が渦巻く「お家元社会」では、外に漏れてこないだけで、日々いろいろな葛藤が現れては消えを繰り返しているように思うが・・・先ほど書いたように、私は何も知らない。

当然、こうした街中で、庶民に礼儀作法を伝えている先生(師範?)の方々は、私同様に巷の末端で細々と生きているに過ぎないので、お家騒動とは無縁でしょう。

 

でも「○○道」と言う金看板を背負って作法を世間様に知らしめているので、それなりの遣り甲斐はあるのでしょう。

私のように些末な仕事でも、遣り甲斐は1ミクロンぐらいはある。それにしがみつて、もう数十年喘いで生きている。別に自慢ではないが、1ミクロンの遣り甲斐でご飯を食べ、若い頃はいやらしいこともした。しかしそれは「○○道」などでは断じてない。手探りで、抜き足差し足で、獣道のような・・・或は薄暗い路地を這いつくばって生きてきた。自慢のように思われると癪なので、あえてこんな書き方をした。

 

「道」を極めるのは大変だと思う。

薄暗い路地を手探りで進むのもまた大変である。

まあーどちらも選びたくない人もいるだろうけど、それもいつまでも続けるわけにはいかない。

 

この和風の古い平屋の民家の中で、嘗て人と人が向き合い、何かを伝えていたことだけは確かなのでしょう。

撮影日:令和3年8月28日