中国から日本に帰ってきて、日を置かずひこさんに電話、会場をとってもらって会食、しかしひこさんの押さえる馴染みのお店はどういうわけかこの小童に「おいしい」と感じられない、という傲慢な報告を、上で致しました。
ある時。それは、夏の盛りでした。ひこさんは中央駅裏の洋食屋さんを予約してくれました。午後八時というかなり遅い時間帯で、それでもテラス席しか取れなかったようでした。別に野外でも良いのですが、蒸し暑いだろうなと思いながら服装に気をつけ出かけたら、予想の倍、蒸し暑いのでした。そもそも盆地であり駅周辺は特に標高が低くなっており、あまり風が抜けてはいかないのです。
お店のウェイターさんの応対は気持ち良かったし、「今洗濯業者さんが持ってきたばかりです」然とした清潔さの、折りジワのびしっとした制服にも好感が持てたのですが、定刻八時、テーブル上にずらりと一口大のカナッペが並ぶことになり、少し意外の感を抱きました。別にカナッペで構わないのですが、さすがに私は考えたのです。これは要するに、時間が時間だから軽く食事は済ませてくることを前提としているのか? もしそうなら、あえて空きっ腹で出かけてきた小童は失礼なことをしたことになる、と。なにしろ久しぶりにひこさんと二時間の会食をしようと思ったのですから、ごく軽いものしかお腹に入ってはいません。時節柄飲み物はいろんな銘柄のビール、ないし発泡する冷酒と決まっているので、六五才の胃袋、あぁ胃袋は十年前に取っ払っていたのですが、要するに欠陥のある消化器官にはあまりフィットしないかもしれないのでした。しかし私は手の込んだ……それこそフォアグラやキャビアなんかもあったかもしれません……カナッペを食べながら、ひこさんに会場をキープさせておいて下品なことを考えてはいけなかった、と静かに反省しました。
食べ物に関しては私はかなり「いやしい」人間であることを自覚しています。
ひこさんと私は互いの状況について大いに交流を深めました。すでに済ませている話題でも、いや何度目かでも、そんなのどうでもいいのです。とにかく何十年もその活動で口に、家族の口に、糊したのですから、話題はどうしたって三十年、四十年、続けた仕事のことになります。
更に、ひこさんの方には激変する日本の土木業界に対する独特の見解があり、それは大層情報として価値があるものでした。他方、私の、中国の最北の省における二年間の暮らしや、現地の人々との交流、また最南の省における、二月から一一月まで摂氏三〇度を超すという暮らしには……しゃべっている方は楽しくても……、あまり資料的(?)価値はないようでした。
予定通り二時間をそのテラスの店で過ごし、歩いてそれぞれの当夜の寝場所に向かいます。ひこさんは、お料理どうだった? などと聞きません。聞かれてもいないのに私も感想を申し上げたりしません。自分の中では、多忙な中、何軒ものお店に電話をかけ続けてくれたひこさんへの感謝もあったのですが、あえて言ったりはしません。
ここを過ぎるとひこさんは自分の家へ私は安ホテルへ別々の道、という分岐、面白いことに成人映画専門の館があります。何十年も前から、外形も営業ポリシーも変えようとしない、とても偉い映画館です。
ここ、入ったことある? とひこさん。
三八才でこの町を離れたけれど一度も入りませんでした、というか成人映画そのものを見たことがありません、と私。
ひこさんは笑いながら、次回帰ってくるのはいつ?
私は、半年ぐらい先でしょうかね、と返答しました。
半年、かかりませんでした。姉が肺に癌を患っており、それが脳に転移し、抗がん剤で増殖を抑えてはいるものの、ゆるやかな衰弱は誰の目にも、本人にも明らかだったのです。癌患者というならこの私も同様ですが、姉の方が病状においては進んでおり、もう自力で飛行機に乗り込むことは不可能になっていました。
弟が会いに来るのが正着なのでした。姉の家とひこさんの家は、直線距離にして二、三百メートルしか離れていません。
姉は私の顔を見ると時に大酒を飲みます。昼間でも朝でもかまいません。大酒を飲み、しかも酔いません。私はつきあうわけにはいきません、夜はひこさんとの会食が予定されています。
今日はどこで会うんや? と、羊羹をつまみに日本酒を飲みながら、姉。
駅前ビルの二階に入ってる★というところ。と、私。
姉は首をかしげて、高い店を選ぶもんやな。
私は、姉ちゃん行ったことあるの? と聞いてみます。返事、「ない。せやけど名前からして高そうや」。
妙なことを言うようになったな、脳への転移のせいかな、と思いながら、姉の家から出てタクシーに乗ります。予定よりかなり早く着きすぎ、二十分近くひこさんを待つことになりました。さりげなく客室の様子、水を打たれた玄関の様子を見学するのですが、なるほど、名前はともかく、格式は高そうなお店だ、と思いました。だいいちお料理を運び説明する女性の着ているのが、ウールじゃなく正絹です。柄がみんな違って、帯も帯留めもみんな違って、それでいて共通の要素もあり、うまく書けませんがお運びさん相互の先輩後輩、指示系統の整理が、それによって為されています。玄関先の敷き石がが少しでも乾燥すれば男衆さんがさっと出てきて過不足なく水をまいてくれます。客室内でうっかり畳の縁を踏むというトレーニング不足の人は誰もいません。
何となく、姉はどこまで知っとったんかな、と思いました。
ひこさんが定刻の五分ほど前に登場、すぐに八寸が運ばれてきますが、私はこの失望ないし戸惑いが顔に出ないこと、そればかりを心がけていました。八寸皿が木製で右端に穴が開いていてそこに季節の花が挿してあります。このような演出を喜ぶ客だと思われている、それが少し不満でしたが、とりあえずひこさんの手前、褒めておくしかありません。私はお刺身を出すなら魚の種類にもよるだろうが基本的にカドがきちんと鋭角的に立っていないといけないと思うし、揚げ物を出すならつゆの温度に気を配るより揚がってから客室に到着するまでの時間に気を配るべきだとも思っています。お店によってはネタを客のいる部屋で揚げる、ということをします。それはもちろん「味は物語に依存する」という食の原則に照らし合わせてすばらしく美味なのでしょうけど、その逆の路線を行く、行ってしまうお店の方が圧倒的に多いのでした。
とにかく私は食材と客の舌に対する敬意とお店で考えた演出が、本末転倒であるという例をたくさん知り、深く憎み、軽蔑しないではいられない我が儘なイカレポンチなのでした。
会話自体はひこさんの大いなる努力があって、楽しく弾みました。そして私はついつい、最後まで言わないで済ませるべきだった「提案」をしてしまう、そのファルスを犯してしまったのでした。
それがつまり「柿ピー」。