親は、毒にも薬にもなる。
そんなことを書いたあとで、もう少し考えていた。
私は最近、子育てにおいて
「きめ細やかに見ること」だけが正解ではないと思っている。
もちろん、子どもを見ることは大事だ。
その子が何に困っているのか。
どこで無理をしているのか。
何に傷つきやすいのか。
どんな芽を持っているのか。
そこを見ないまま、ただ厳しくするのは違う。
でも、
何もかも親が先回りして整えてしまうのも、
絶対に違う。
子どもには、子ども本人が考える余白が必要だ。
失敗する余白。
困る、自分で言葉を探す、
人との距離感を間違える、
やってみて、あ、これはダメなんだと知る。
親が全部教えてしまったら、
子どもは自分で学べなくなる。
親が全部守ってしまったら、
子どもは自分で立ち回れなくなる。
だから、許される範囲の適当さや雑さも、
たぶん必要なのだと思う。
放置とは違う。
本当に危ないところでは止め、傷ついている時は見る。
本人の力だけでは処理できないことは、一緒に考える。
日常のすべてを親が完璧に設計しなくてもいいし、そもそもできない。
親にも限界があり、体力があり、機嫌があり、その日の余白があるのだから、それでいいのだと思う。
家庭は、社会の最小単位だ。
そこでは、子どももまた
ひとりの人間として立ち回ることを覚えていく。
自分の言い分を言う。相手の都合を見る。
言いすぎたら謝る。頼み方を覚える。
断られることを知る。甘えれば通ることと、通らないことがあると知る。
それは、家庭の中でしか練習できないことでもある。
外の社会に出てから、いきなりそれを学ぶのは大変だ。
だから家の中で、少しずつ揉まれていい。
親子だからこそ、言えることがある。
親子だからこそ、ぶつかれることがある。
親子だからこそ、あとで笑えることもある。
子どもに対して、何を言ってもいいわけでは決してないが、
腫れ物を扱うように、子どもを壊れ物にしすぎるのも違うと思っている。
ある日、娘と
よそのお嬢さんのわがままっぷりの話になった。
その子のママは、優しい人だ。
ちゃんとしている。
人当たりもいい。
でも私は娘に、わりとそのまま言った。
親子で、かなりぶっちゃけた話をした。すると娘が言った。
小5にしては、なかなか深いことを言う。
この子には、わりといつも本音で話している。
子ども扱いしすぎない。
でも、大人と同じ責任を背負わせすぎない。
その間くらいで話す。
世の中には、優しい人もいる。
でも、優しいだけでは場は育たない。
厳しい人もいる。
でも、厳しいだけでは人は歪む。
正しさも、愛情も、見守りも、叱ることも、全部要る。
ただ、全部親の手で渡してしまってはいけない。
人を育てるというのは、たぶん、その全部の配合なのだと思う。
しかも、その配合は子どもによって違う。
同じ言葉が、ある子には薬になり、別の子には毒になる。
同じ厳しさが、ある時期には支えになり、別の時期には傷になる。
だから親は、難しい。
でも、完璧にやろうとしなくていい。
親が完璧でないことが、子どもにとっては学びになることがある。
この人にも限界がある。
この人にも間違いがある。
この人にも機嫌がある。
この人にも人生がある。
そういうことを知るのも、家庭の中だ。
親は神ではない。
先生でもない。
サービス係でもない。
専属の感情処理係でもない。
親もまた、ひとりの人間だ。
それを知ることは、子どもにとって冷たいことではないと思う。
むしろ、必要な現実だろう。
私は母から、たくさんの言葉を浴びて育った。
その中には、今思えば厳しすぎたものもある。
痛かったものもある。
子どもの私には重かったものもある。
でも、その中に
今の私を支えているものも、確かにある。
だから今、少しわかる。
毒だったものが、時間をかけて薬になることがある。
薬だったものが、あとから毒だったとわかることもある。
そして、毒を毒のまま終わらせるか、
自分の中で解毒して、何かに変えるか。
そこから先は、たぶん本人の仕事なのだ。
親がすべてを正しく与えることはできない。
子どももまた、
与えられたものを、いつか自分で選び直していく。
これは要る。
これはもう要らない。
これは傷だった。
でも、これは知恵になった。
これは背負わない。
でも、これは受け継ぐ。
そうやって人は、親からもらったものを
自分の人生の中で組み替えていく。
私にとって子育ては、
娘を育てることであると同時に、
自分が受け取ってきたものを解毒する作業でもある。
厳しさをそのまま渡さない。
優しさだけにも逃げない。
本音を話す。
でも、押しつけすぎない。
考え方は渡す。
でも、答えまでは奪わない。
守る。
でも、全部は守らない。
それくらいの雑さで、
それくらいの本気で、
親をやっていけばいいのかもしれない。
丁寧な子育てとは、きめ細やかにやることではないのかもしれない。
意図を持つこと。
でも、意図した通りに育つとは限らないと、知っていること。
だから私は、丁寧に、たまに手を抜く。
人間らしく。
そうでもしないと、学べないことがある。
毒親がいれば毒子もいて、
老害があれば若害もある。
巷には、
世の中の奥深さを、知った気になっていい気になるのは、50年早い。
…って言いたくなる奴ら、ばっかだよ。
心の中におさめてるけどね。笑









