晩節を汚したルネ・アルヌー、プロストに最後の意趣返し | 日日不穏日記・アメブロ版

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 シートが限られるF1で同じ国籍のドライバーがチームメイトになるケースは限られる。ハミルトンとバトンのようにチャンピオン同士となるとさらに少なくなる。

 とは言え、イギリス人同士のチームメイトがチャンピオンと云うケースは、ジム・クラークとグラハム・ヒル、ジャッキー・スチュワートとヒル、94年には、ナイジェル・マンセルとデイモン・ヒルと云う組み合わせが5戦だけ誕生するなど、4例もある。

 こうしたチャンピオン同士の組み合わせに限らず、多くのチャンピオンとコンストラクターを生んだ故に、イギリス人によるチームメイトが誕生したのだが、ドライバー間で、軋轢が生じたという話はそれほど聞かない。

 ハミルトンとバトンの関係にせよ、それなりに緊張感のあるものであったとは言え、決定的に関係性が崩れるようなことはなかったのだ。

 バトンが大人だった、とは言えるのだが。

<F1 Monaco 1989 Arnoux does not allow Prost to lap him>



 その点、フランス人同士の組み合わせは違った。ルノーにおけるプロストとルネ・アルヌーの不仲は修復し難いものであり、アルヌーはプロストのチャンピオン獲得を妨害することさえしてしまう(82年)。

 アルヌーだけに非のあることではないのかもしれないが、移籍したフェラーリでも、同じフランス人のパトリック・タンベイと人間関係をこじらせているから、同郷ゆえの近親憎悪のようなものがあったのだろうか。

 フェラーリを去ったアルヌーにとって最後のチームとなったリジェでは、チーム力の弱さに、年齢的な衰えが加わり、下位を走り続けた上に、ブロックの常連となって、ドライビングに多くの批判が寄せられるようになってしまう。

 最後の年となった89年のモナコGPでは青旗無視でかつてのチームメイト:プロストを執拗にブロック、セナの独走をサポートして顰蹙を買う。

 GP7勝。フランスを代表するF1ドライバーが最後に見せつけた“汚点”だった。