最終戦、オーストラリアGPと同じ週に、マクラーレンの異議申し立てに対し、FIA控訴裁判所の控訴審が行われ、セナは敗訴したことに加え、「他のドライバーの安全に危険を及ぼすドライバー」というレッテルを張られた上に、執行猶予付きの6か月の出走禁止、罰金10万ドルという、これでもか、というほどの“罰”を下された。
セナファンの贔屓目にしても、いくらなんでもこれはないだろうと思う。このような罰を科されるのは、90年の鈴鹿であれば、納得出来るものの、89年の“それ”は違う。
もちろん、セナが過去に於いて、危険を顧みないドライビングをしてきたことを認めるにせよ、「シケイン不通過」の失格裁定を含め、「日本GPだけに限って」言えば、あまりに政治的な裁定と言わざるを得ないだろう。
セナのシケインへの飛び込みそのものは、かなり速く、ラインはセナのものだったと僕は思う。ドアを閉めたプロストの行為の方が、意図的なものに見え、シケインでの接触を以て、“危険なドライバー”と断じるには無理がありすぎる。
裁定を覆さないまでも、レーシングアクシデントとして、申し立てを却下するのが妥当な判断であろうと僕は思う。この裁定の問題点は、オーストラリアGPの開催によって、大きな矛盾を露呈する。
レース後の2人の反応を引用してみる。
「セナのドライビングは、ハードすぎるんだ。彼は優れたドライバーで、そして信じられないくらいに早い。でも、もし、F1に彼のようなドライバーがふたりいたら、全てのレースで事故が起こる」
そうプロストは語り、今まではドアを開けてきたのは、そうしなかったら、そのたびにクラッシュしていたからで、もう、二度とそういうことは起こらないとレース前に言っておいたはずだ、と付け加えた。
セナの声明文はこうだった。自分がレースに勝ったのは明白で、その勝利は奪い去られた。彼ら観客が、ブラジルを除いて、私の最大の“ファンクラブ”であるにも・・・とし、「“あの出来事”についてだが、私が追い越しできるのはあそこが唯一の場所であり、そこに本来いるべきでない≪誰か≫がいて、『ドア』ガ閉じられた。それだけだ」と締めくくった(『セナVSプロスト』、P.280~281)。
セナVSプロスト+バレストルという構図。プロスト悪役というイメージは、日本においてはすっかり定着し、F1バブルの中、セナ人気は、さらに沸騰する。セナ財団公認の「アイルトン・セナ~音速の彼方へ~」が、世界に先駆けて公開されたのも、むべなるかな・・・と思う。