ヒル、痛恨のクラッシュ。シューマッハの勝利にモンツァ熱狂!(1996年、イタリアGP) | 日日不穏日記・アメブロ版

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 第11戦のドイツGP終了時点で、7勝。1996年のデイモン・ヒルは、悲願の初タイトルに向けて順調にポイントを積み重ねていた。2世対決と言われたヴィルヌーブとの戦いは、前半の貯金でヒルが優位に立ち、続くハンガリーで、ヴィルヌーブ、ベルギーでシューマッハに勝利を許すものの、2位、5位とポイントは積み重ねており、ここイタリアで優勝すれば、タイトルに大きく前進するはずだった。

 ・・・が、このイタリアGP前、ヒルに悲劇が襲う。ウィリアムズから、契約を更新しないことを通告されたのだ。97年を以って、ルノーエンジンを失うことが決まっていたウィリアムズとしては、BMWエンジン獲得のためにドイツ人ドライバーを必要としており、そのためにヒルを放出し、ハインツ・ハラルド・フレンツェンの獲得という選択に走る。



 この選択は凶と出る。マシン開発の盟友とも言えるエイドリアン・ニューウェイを始めとするスタッフの離脱を招き、BMWエンジンの獲得は2000年まで先延ばしにされ、チームに大きな痛手を与えることになる。

 その影響がレースに現れたかどうかは分からない。PPスタートのヒルは、5周でスピンアウト。ヴィルヌーブは出遅れ、ポイント圏外の7位でフィニッシュしているから、もし、ヒルがこのまま勝利していれば、23ポイント差となり、2戦を残して、タイトルは決まっていたわけで、リタイア後のヒルの落胆ぶりは見ていても痛々しいほど(サスペンショントラブルとも言われている)。

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 優勝はシューマッハ。1996年、再建途上のフェラーリで3勝。しかも、1988年のベルガー以来の地元モンツァでの勝利。何度も期待を裏切られてきたティフォシは、この快挙に熱狂する。以後、シューマッハは、(一度)引退する2006年を含め4度の勝利を手にすることになる。

 サイボーグから、“赤い皇帝”へ。

 再建を託された最強のドライバーは、最強のスタッフを手中に収め、黄金時代の扉を開けようとしていた。