1999年素描⑦残り2戦、遂にシューマッハ復帰。アーバインの全面サポートへ | 日日不穏日記・アメブロ版

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 波乱の1999年も、残るところ3戦。アーバイン、ハッキネンともに60ポイントで並び、ヨーロッパGPではついに、ハッキネン、クルサードの関係でチームオーダーが。遅きに失したとは言え、ようやく両者が同様のチームサポートを受けられるようになった。

 が、このGPで優勝したのは、アーバインでも、ハッキネンでもなく、雨の大混乱のレースで両者とも脱落。

 ハッキネンは4位を確保したものの、アーバインは、7位に沈み、優勝は伏兵スチュワート・フォードのジョニー・ハーバート。チームメイトの、ルーベンス・バリチェロも3位に入り、1-3フィニッシュ。



 そして、年内復帰は、絶望と見られていたシューマッハが次のマレーシアで復活。いきなり、PPを獲得。ドライバーズ、コンストラクターズを争う展開で、シューマッハはアーバインの完全サポートに回る。

 両者の関係は、もう良いとは言えなかったものの、そこはアーバインがチーム離脱することもあって、プロとして割り切ったのだろう。



 レースでは、シューマッハがハッキネンを完全ブロック。クルサードがリタイアし、燃料が足りずに給油でピットインしたハッキネンを尻目に、1-2フィニッシュ。露骨にシューマッハがトップを譲るシーンは、速さでの力の差を見せつけるという面で、皮肉にも、アーバインは、その“器”ではない・・・と暗黙の中でアピールしたように見えなくもない。

 ともあれ、アーバインが、4勝目。4ポイント差で、再びポイントトップに立ち、シーズン最終戦、日本GPを迎えることになる。