97年、最終戦ヨーロッパGP。日本GPフリー走行中の黄旗追い越しペナルティーで、5位入賞も失格処分となったジャック・ビルヌーヴ。これで、ポイントランキングは、シューマッハが逆転(1ポイントリード)という緊迫した状況で、迎えたスペイン・へレス。
予選は何と史上初のヴィルヌーヴ、シューマッハ、フレンツェンが同タイム。タイムを記録した順のグリッドとなり、PPから、ヴィルヌーヴがスタート。
シューマッハはロケットスタート、フレンツェンが続く。日本GPでは良いところを見せられなかったフレンツェンは、ここでチームオーダーを忠実に守ってみせる。ヴィルヌーヴを先に行かせ、ピットストップを遅らせて、先にピットインしたシューマッハを抑え続けることで、両者のタイム差を大幅に縮めたのだ。
2度目のピットインを終わらせた両者は、さらに接近。48週目、ヘアピンでインから抜きにかかったヴィルヌーヴにシューマッハが被せる形で両者接触。
その場でシューマッハはリタイア。傷ついたヴィルヌーヴが走り続けるという展開は、94年のアデレイドのヒルと同じ展開になったのは、同じだけれども、結末は違った。
ヴィルヌーヴは、そのまま走り切り、3位表彰台。97年の年間タイトルを獲得する。シューマッハには、FIAから、シーズン後にドライバーズポイント抹消(コンストラクターズポイントは有効)、ランキング2位をはく奪と言う厳しい処分が下された。
栄光に満ちたシューマッハのキャリアの中で最大の汚点とも言えるこの行為。さすがに擁護の余地はないだろう。