92年、ウィリアムズ・ルノーで悲願のタイトルを獲得したものの、93年シーズンのシート争いのゴタゴタでF-1を引退を表明(イタリアGP)したナイジェル・マンセル。
翌シーズンから、CARTシリーズへの参戦を表明、名門ニューマン・ハースでマリオ・アンドレッティのチームメイトとなった。
初戦のサーファーズ・パラダイスで、ポール・トゥ・ウイン。早くも結果を出し、タイトル争いに関わっていく。レースカテゴリーとして、全く別の自動車レースで、すぐに活躍できるのは、マンセルのドライバーのポテンシャルの高さと言っていい。
結局、シーズン5勝(PP7回)で年間タイトルを獲得。F-1、インディカーを制したのは、それまで、元王者のアンドレッティ、エマーソン・フィッティバルディの2人でたったのだけれども、2年連続の戴冠は初。これは文句なしの偉業。
F-1に比べ、インディカーを取り上げることの少なかったメディアも前年のF-1王者の参戦ってことで、レース結果を随時報道。
この年は、逆に91年の年間王者であるマイケル・アンドレッティがマクラーレン・フォードから、F-1参戦。表彰台一回のみで、契約解除(マイケル自身の申し出による)したこともあって、両カテゴリーのレベルに関して論争も起こった。
のちに、F-1参戦したジャック・ビルヌーヴが97年の王者になっているけれども、逆にF-1では、実績の乏しかったアレッサンドロ・ザナルディが97年、98年と連覇したこともあり、競技レベルとしては、F-1が高いように思われているように見える。
それはそれとして、全く別のカテゴリーで、タイトルを獲得したことは、結果的にマンセルが残留して仮にプロストとタイトルを争って、勝つよりも、良かったのではないだろうか。
それほど、この年のマンセルは、生き生きと走っているように見えたし、プロストは、花道を飾れたのだから。