ハイクラヴァー -2ページ目

ハイクラヴァー

うーん、とりあえずそんな感じで。


ハイクラヴァー-年賀状2009

というわけで、今年もよろしくお願いいたします。
ハイクラヴァー-芋炊き

実家から荷物が送られてくるとき、僕は家を空けていることが多い。
普段は郵便局に電話をかけて、休日に配達してもらうようお願いするのだが、今回はチルドゆうパックのため早めに受け取りに来てほしいとのこと。
何が送られてきたのかと訝りつつ、終業後いそいそと郵便局に足を運ぶと、届いていたのは「いもたきセット」だった。

歳時記では「芋煮」という言い方をしているが、僕の田舎ではもっぱら「芋炊き」と呼ぶ。
芋煮会といえばその本場は東北、特に山形だが、wikipediaの「芋煮会」の項に「愛媛県のいも炊き」として項目が立てられている通り、僕の地元・愛媛での「芋炊き」の風習は盛んだ。
なお、「芋煮会」という季語は、現在ではメジャーな季語であるが、昭和48年刊の図説大歳時記(角川書店)では「秋興」という季語の傍題に甘んじている。比較的最近にあってから有力になった季語のようだ。

芋炊きについては、二つの記憶が有る。

一つは、地元の村民運動会。
僕の田舎では一年に一度、秋の運動会があった。普段、村役場で働いたり、畑で鍬を振るったりしている村民が一堂に会し、地区ごとのグループに分かれて各種競技で競う。
運動会の後には決まって芋炊きが饗された。運動場一面に青いビニールシートを敷き、大人はビールや酒を飲みながら、子どもはジュースで、芋炊きを頬ばった。煮汁がたっぷり染み込んだ芋がおいしかった。

もう一つの記憶は、高校からの帰りの通学バスから見た風景。
いつもは真っ暗な河原が、芋炊きの時期になると、人がぞろぞろ集まり、いくつもの灯が点っていた。結露したバスの窓ガラスに、ぼうぼうとその明かりが乱反射した。
幸せにかたちがあるとしたらこんなものかも知れない、と気障な考えを催したりもした。

芋煮会は、田舎の人間にとって数少ないぜいたくな時間だ。
一方、東京に出てきてから、僕はたくさんのぜいたくな思いをしてきたと思う。ただし、それは僕の家族や田舎の人たちの想像できる範囲のぜいたくとは、随分毛色の違うぜいたくだ。

芋煮会のことを思うとき、僕はちょっぴり後ろめたいような気持ちになる。

ジャガビー

長らく、僕的「うまいスナック菓子ランキング」の王座を堅持してきた「じゃがりこ」を押しのけて、このたびランキング1位に輝いたスナック菓子。

その名は「Jagabee」。

ほくほくのじゃがいもの味がするんです。
もはや主食。
みづいろの黴をまとへる蜜柑かな

聖書より「蜜柑」の文字の零れけり

剥かれて蜜柑内の暗黒消失す

冗談で蜜柑を棒としてつかふ

あゝさびしや蜜柑を糞類に分類し

巨乳丸し蜜柑も丸し資生堂

時間より蜜柑気になる朝餉かな

ヤクルトレディに蜜柑をぶつける未来の遊び

実家から送ってもらった蜜柑が、1週間ほうっておいたらみるみる傷み始めたので、今日になって焦ってぱくぱく食べていて、このペースではらちがあかんと思い、皮を剥いた蜜柑をひとつ丸ごと飲み込んだところ、のどをぬるぬると進んでいく冷たい蜜柑の感触を「のどで」感じた。

今日まで23年間、僕は、ものを飲み込むと「すとん」と胃の中に仕舞われるものと思っており、こんなに時間をかけてのどの中を食べ物が進んでいくとは夢にも思わなかった。

あまりに鈍感な人生。

しかし、このぬるぬるはくせになる。
本日行われた第33回エリザベス女王杯の解説、二つ。
たぶん別々の放送局の番組なんだろうと思います。

競馬は素人なのであまり自信はないんですけど、後者の解説が巧いなあと。
単なる巧拙の問題ではなくて、なんだか血が通ってる感じ。





栗

年少の頃、秋になって山が色づくと、週末は父に連れられて山へ栗拾いに行った。

僕が「山」へというときの山とは、父の実家のあった山のこと。
父の実家は、建物は残っていたものの、誰も住んでおらず、すっかり廃屋と化していた。
僕が東京に出てしばらくしてから、老朽化で屋根が崩れ落ち、それを期に取り壊したと聞いている。

途中までは車であがって、それから足で10分ほど登ると、栗の木の多く生えている一帯に着く。
まずは、地面に落ちた毬栗のうち、表面がぱっくり開いているものを探す。
その割れ目の一方を右足でおさえ、もう一方を左足を使って押し開くことで、栗を外に出すという按配。
ときどき充分に成熟していない薄っぺらな栗があり、それを集めて、家に帰ってから爪楊枝を刺し、栗の匙を作るのが楽しみだった。

山に行く途中の自動販売機で不二家の「ピーチネクター」を買ってもらうのもお目当てのひとつだった。

この間スーパーでの買い物中、ふと思い立ってピーチネクターを買い物籠に入れた。
昔はもっとおいしく感じた気がして、なぜか急に悲しい気持ちになってしまった。
明治通りと早稲田通りの交差点にあるお店、フジヤマ製麺。

フジヤマ外観

この立地が、一見申し分ないようで、いわくつき。
できる店できる店、次々につぶれていき、ついこの間も名古屋ではおなじみ「スガキヤラーメン」がオープンしたものの客が入らず、早々と撤退した。

フジヤマ 看板

席はテーブル席オンリー。2階建てで、1階だけでも40人弱は入る。
そういうこともあってか、客層を見ると家族連れも多い。

フジヤマ つけ麺

看板商品のつけ麺は750円。
店自慢の麺もさることながら、魚介ベースに柚子の効いたのスープの味は格別。
柚子が名産の村に生まれた僕にとっては、田舎を思い出せる味。

スープ割りのスープも濃いめで僕好み。

何かの間違いで高田馬場にお立ち寄りの際は、ぜひご賞味を。
寓話俳句会のメンバーは、デザイナー、火力発電所設計士、元ダイビングインストラクターとバリエーション豊か。
デリバリーの寿司とピザを注文して、ビールとワインを片手に句会。

一方に俳句中毒者と延々と袋回しをする楽しみがあって、他方に気楽な遊び仲間と俳句を楽しむ時間がある。
できることならば、いつまでもそういう風にありたいと思う。


今回も「俳句穴埋めクイズ」を実施。


(  )のごとくバタあり冷蔵庫  吉屋信子

( )ほどの男に逢はず漆の実  遠山陽子

(    )の女に毛糸編ませたし  阿波野青畝

百人の奏者の影や(   )  浦川聡子

(  )や患者に五年先を言ふ  橋本善夫

蛸の足煮てをり雪の(   )  中拓夫 (ヒント:都内の地名が入ります)

冬薔薇や(  )劣りし一詩人  草間時彦

(    )が闇鍋に入れしもの  伊藤白潮

死にたれば人来て(       )  下村槐太

初電車(    )と乗りあはす  安住敦


(櫂未知子著『言葉の歳事記』より抜粋)
まだ小学校に入ったばかりの頃だった。

学校からの帰り、道の真ん中に人だかりができている。
近づいてみると、人だかりの真中に体長が大人一回りはあろうかという立派な猪が横たわっていた。
だが、もう半分ほどは解体されていて、そばに小さな血溜まりができていた。
「ひとつ持っていけや」と手渡されたビニール袋はまだあたたかく、幼心にも気味が悪かった。

両親は共働きで家にいなかったので、隣の家に住んでいた祖母のところにその肉を持っていった。
祖母は、背が高く細身の人で、眼が弱く、紫色のレンズの眼鏡をかけていた。
夕食にはその猪肉を牛蒡と大根と一緒に炊き込んでくれた。
猪肉にはあたりはずれがあり、はずれたときには硬くて臭い肉を食うことになった。
猪肉がない季節には猪肉が牛肉になった。


週末は父に連れられて、一つ年下の弟と山に入ることがあった。
ある時、葉山葵を採りに渓流沿いの山道を登っていくと、道の脇に猪の死体がうずくまっていた。まだ子どもの猪だった。
腹のあたりが真っ白になっており、よく見るとそれは大量に湧いた蛆だった。
僕はその猪を土に埋めてやりたかったが、父は先を急いだ。
その時、父にいくばくかの憎しみを覚えたことを今でも覚えている。