秋田に帰省してた。
母の葬儀だった。
95歳は頑張ったなぁ。
認知症が長かったので
寂しさ悲しさの半分はホッとした気持ち。
徘徊も頻繁で、
真冬の夜中に警察に保護されたり
夕方山の中で発見されたり
都度ニコニコと、探してくれた人達に
労いの言葉をかけていたそうだ。
看取りの体制に入ったと知らされた時は
いよいよかと動揺もしたけど
それからひと月半頑張ってくれたので
悲しみは薄らぐわけじゃないけど
和らいだ気がした。
母が残された家族に
気持ちを整理する時間を
作ってくれたのかなぁと思った。
葬儀は参列者12名で、
みんな父母の親戚縁者。
お寺の介入しない葬儀で
お経も無く、シンプルだった。
弟が母の生い立ちをファイルにまとめてくれて
火葬の間皆でそれを見て
昔話に花が咲いた。
穏やかで暖かい時間だった。
母は動物がとても好きで、
私が生まれた頃は野良犬も保護して
10匹以上飼っていたこともあるらしい。
犬はもちろん先に逝くわけで、
亡くなるとお迎えに来てくれるらしい。
母のこともお迎えに来てくれたと思うし
叔父も叔母も今頃
ねえさんねえさんと喋り通しているかも。
私はあまり泣けないのだが
この先いつか
ふとした瞬間に泣くのかもしれない。
両親が30代前半の頃の写真
生きていれば誰もが通る道であり、
それが早いのか遅いのかそれぞれ。
突然の別れもあれば
十分な覚悟を持つ別れもある。
始まりがあれば
終わりは必ずある。
そんな当たり前のことを
再認識させられたこの数カ月だった。
やるべき事をやろう。
会いたい人に会い
やりたい事を後回しにせず挑戦しようと
改めて思った。
「阿吽」
始まりと終わりという意味。
終わりは必ずあるのだから
今を大切に後悔の無いように。
葬儀翌日
ひとりで小雨の中海を見に行った。
花散るや夢見る母の脈静か 秋尾