私部城に、城の原点を訪ねよう! | モーゼの子のブログ

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◆交野の自然・歴史・文化にふれる ◆生きようと行動することで生物は多様化する(理論生物学)◆美しい写真 ◆社会貢献活動 ◆生きていることの折々の感銘 ◆ときどき愚痴etc

 

            ◆私部城で城の原点を見てみよう


 

石山合戦(1570~1580)のとき、河内に進出してきた信長の拠点は、三好義継の若江城、畠山秋高の高屋城、そして、安見右近の私部城でした。


 

東西約400メートル、南北約300メートルのこの小さな城は、自然の地形を利用した泥沼の堀に囲まれて、馬も進めない難攻不落の城でした。


 

わずか10年足らずのうちに、権力と富の集中、技術の向上によって、城は、安土城や大坂城のように、大規模化・豪壮化します。


 

大進化を遂げるまえの小さな砦のような、後世の手の加わらない私部城で、城の原点を味わってください。

 

見学会のコースは、約1時間です。


 



 

 

 

 

       ◆交野市指定文化財指定記念  私部城跡見学会

 

 

 

◆2018年10月1日で、私部城跡が交野市指定文化財に指定されました。これをうけ、10月6日(土)、13:30、台風25号が近づくなか、交野市吉田学芸員のガイドのもと、城跡の見学会が行われました。

 

 

 

◆当日配布の地図によって見学内容をたどります。

 

 

 

①説明光景 交野市役所別館前で、説明を受けたのち、出発しました。

 


②役所東裏口あたり

 

  堀を埋めた土地に建っている別館から南に向かう道は登りになっているが、高低差は現在より1メートルは高く、いまの地形より堀はもっと深かった。




 

③北田家代官屋敷

 

・北田家には、戦国時代、安見一族に仕えて戦ったという記録が残る。

 

・北田家の建物の特徴である長屋門は、代官屋敷として日本でも最大級のものである。城跡から瓦が出土していることから、私部城の城郭は、規模はここまでなくとも、長屋門風の建物だったのではないかと思われる。

 

・基礎の石積みは、しっかりしていて美しい。

 







④札の辻橋あたり

 

 札の辻の北にある無量光寺・想善寺・光通寺の土地には、出郭(大阪城でいえば、『真田丸』にあたるもの)だった。北田家の前を通る山根街道は、これら三寺の前で東方面に曲がるので、この出郭は山根街道沿いにあった。


 


 

⑤無量光寺

 

 古くは元天台宗の道場だったが、室町時代、浄土真宗の寺となる。いまも現存の享保15年(1730)鋳造の鐘楼には、この寺の二百数十年の歴史が刻まれ、そのなかに、天正年間の信長の本願寺攻めの記載がる。

 

 その記録によれば、本願寺の合戦で、この寺の住職三世覚心は、本願寺側に貢献し、講和となった。しかし、当時、私部に城を築き信長に属して戦っていた安見右近は、覚心の行動を怒って殺そうとした。それを人づてに聞いた覚心は、二十余年の逃亡のすえ、ようやくこの地に戻って寺を再建したという。再建は、城跡の出郭を活用したと思われる。

 

 ・鐘楼は、寺の歴史を刻んでいる。

 ・銀杏の木 交野市の指定樹木は、私部城の景色をみていた。











⑥光通寺

 

   臨済宗の寺で創建の歴史は古く室町初期と見られるが、室町時代には勅願寺として朝廷とのつながりも深く同寺で採れた茶を献上していた。しかし、戦国時代、寺領の一部が私部城の出郭として接収された。

 

 寛文4年(1664)の同寺の棟札には、戦国時代、信長配下の安見右近が、義も道もなく寺領を取った。自刃に追い込まれたのは、天罰であると言った意味の文章が残されている。 しかし、右近死後4年後には、朝廷に献茶した記録があるという。

 

 

 

『信長公記』に、大阪本願寺が三好三人衆に味方したため信長は本願寺を攻めるが、浅井・朝倉・一向一揆・比叡山が蜂起したので、信長は近江に向かった。『…しかし、高屋城には畠山秋高、若江城には三好義継、片野城には安見右近がおり、…すべて畿内衆が固めているので無事である』と記されるが、その陰には、上記のような事件もあった。




 

 

 

⑦私部城跡の碑

 

『交野市史』編纂の責任者だった奥野平次氏たちの原稿料によって建てられた。同趣旨で、ほかにも交野の史跡を示す碑が建てられた。




 

⑧二郭と北から見た私部城あと

 

堀の向こうに郭(城の基盤となる台地)が見え、もっとも私部城をイメージできる場所。大阪府下には平城が二つある。そのひとつは、御陵で自由に立ち入りのできない高屋城である。住宅地のなかにありながら、私部城が、ここまで原型をとどめているのは奇跡に近いと言われる。地域の地主の理解が深かったにちがいない。

 

 

 

堀と郭が私部城としてもっとも保存状態の良い形で残っているのが、この二郭。瓦の破片が出土している。城に、瓦屋根をもつ建物の築かれたのは安土城が最初とされるが、私部城は、それより早く瓦屋根の建物が建てられていたと判断され、安土城を先取りする平城と見られる。








 

⑨『本丸池』(堀跡) 

いまも、450年前の城の面影が十分偲ばれる形で残っている。




 

⑩⑪西の郭跡

 

本丸池の西側は、平地より1メートトルあまり高くなっており、西の郭があった。





郵便局の南側も、同じく、1メートルほど高くなっており、西の郭があった。







◆所在地:私部城:大阪府交野市私部6丁目

 

◆アクセス:



1.京阪電車 交野線 交野市駅下車 徒歩10分

 

 ※京阪電車 枚方市駅(特急停車)で、交野線 私市行(きさいち)に乗り

 

  換えて約10分。私市方面に向かって左の出口から出、徒歩10分。交野郵 

 

  便局の東にある広場。

 

 

 2.JR河内磐船駅(快速急行停車駅)、下車、徒歩3分、京阪電車河内森駅

    から、枚方市駅行きに乗車、次の駅、交野市駅下車。進行方向に向かっ

   て右の出口から出る。  


   ◆問い合わせ:Blog 掲載者 交野市星のまち観光協会 

                     佐藤義也 090-9090-2335



◆ご覧いただきありがとうございました。