酷く残酷な裏切りにあって、

全く人が信じられなくなった。


プライドだけは人一倍あったから、

人には何事も無かった人生の様に見せて

生きてはいたが、


一見気さくで人が良いようで

決して人を自分の中に立ち入らせる事は

無かった。


「あなた、私の何がわかるの?」

「私もあなたに立ち入らないから、

あなたも私に立ち入らないで。」


という気持ちで、

許された数人以外には接して来た。


本当に人が嫌いだった。


多分今でも同じ。

基本的に人は怖いし嫌い。


ただ、そんな自分は生まれた時からではなくて、

経験でそうなったと気付いて


少しそんな自分に悲しくなった。


このまま老いて行くのか…。


で、自分を考えてみた。


手酷く裏切られた時でさえ、

自分は相手に対してベストを尽くしたか?

そこに損得感情は無かったか?



そう、私は相手の態度を見て

自分の相手に対する態度を決めていた。

そして損か得かを計算して

対応を決めていた。

そういう時は、愛や理解や許しという

人間関係では必要なものを

閉ざしてしまっていた。


本当に至らない自分だった。

だからと言って、

人を裏切り嘘を付きあたかも自分が被害者だと振る舞う卑劣な人間を

許すつもりは全く無いが、


自分の至らなさにも気付いた自分。


何か相手から負を感じ取ると

自分も変わってしまうのでは無く

愛や理解や許しを持って変わらず

ちょっとしたことに敏感で変わってしまうことのない自分。


そういう自分がいたら

万が一傷つけられる様な事があっても

後悔が無かったと思う。


人を怖がり、

決して立ち入らせないように

バリアを張るのでは無く


自分のコアは守るけど

ある程度は立ち入り自由の自分になってもいいんじゃないって思った。


結局自分の精神がしっかりしていて

例えば冬の風に吹かれても

しなったり元に戻ったりする梢の様な

精神でいて


俯瞰して人を見つめられる様になれば

いいんじゃないかな。


人じゃ無くて自分。


まずはじめに

窓の外の太陽に手を伸ばし

つかんで自分のお腹に移してみた。


愛情や理解や許しや温かさの熱源を

お腹にそっと移してみた。


そして

私は今までとは少し違う生き方の

練習を始めた。