先日、城の某後輩から電話で「最近ブログ更新されてませんけど生きてますか?」って聞かれました

生きてます!前回更新したのすげー前ですね!?
ということで、今回も観た映画の感想を書きます。
このところ映画の感想ばっかで、なんか小洒落た文化系ブログかと錯覚しますね!!!!!


映画「ウルフウォーカー」みました

舞台は中世アイルランド。
イングランドからやってきたオオカミハンター見習いの少女ロビンは、森の中でオオカミのような野生児の少女メーヴと出会う。

まずタイトルの「ウルフウォーカー」とは、アイルランドの伝説に登場するオオカミ人間のようなもの。
昼間起きているときは人間の姿、夜になって眠るとオオカミの姿になるという。
ウルフウォーカーはオオカミを従え野山を駆け回り、独自の信仰をもつ。そして傷を癒すヒーラーでもある。





まず、画面の話からしていこう。
この作品は構図が非常に独特だ。遠景を二次元的に描いている。
森から振り返ってみたキルケニーの城塞都市は、遠くになるほどのっぺりとした、「真上から見下ろしたような」街並みになる。
(パンフレットより)
それでいて、ところどころ影がかかって三次元的になったりするのがおもしろい。アニメというより一枚のイラストレーションを見ているようだ。

この城塞都市に関していえば、川を背後に城(領主の館)があり、これを中心に三方向に町が広がる都城(とじょう)のような形で描かれている。日本でいうと平城京や平安京のような姿だ。
実際の中世キルケニーの町並みはそこまで直線的ではないようなので、あえて直線的に、“人工物”として描かれているのかもしれない。
逆に、オオカミたちの住む自然の森は流線的で有機的だ。

次にキャラクターの描き方。

人物を描く際、ガイドとしてアタリ(頭部や関節の目印になる丸など)をとることがあるが
この映画ではそのアタリが消されずに見えている。
輪郭線も一本ではなく、何本も描かれている。
絵を描いたことのある人がたびたび「ペン入れする前のほうが良かった」と言う、あのペン入れ前の鉛筆の線の勢い、やわらかさがそのまま動いている。
特によく動くメーヴの髪などは、彼女の荒々しさ、無邪気さが、何本も走る線で見事に表現されている。

全体的にクリムトっぽい雰囲気。


続いて、作中の登場人物の話。
イングランドからやってきた少女ロビンは、フルネームをロビン・グッドフェローという。
イギリスの妖精の名であり、家事を手伝ってくれるという。
作中でロビンがたびたび家事をするシーンがあるのは、名前に由来するのだろうか。
シェイクスピアの演劇の中にも登場する。
ロビンの父の名「ビル」はウィリアム・シェイクスピア由来かな?

ウルフウォーカーの少女メーヴの名は、アイルランドの伝説に登場する女王の名前であるという。知らなかった。


そして今作のヴィラン、キルケニーの街を統治する「護国卿」。
護国卿はイングランドの役職名。アイルランドのカトリックを抑圧することを大義名分としている。
作中では明言されていないが、ここにはアイルランド(カトリック)とイングランド(プロテスタント)の宗教対立の構図がある。
つまり、作中では「イングランドとアイルランド」「都市と自然」ふたつの対立が描かれている。

キルケニー(アイルランド)の人々に侮られまいとする護国卿は、森に住むオオカミたちを退治することで威厳を見せつけようとする。
捕らえられたオオカミに口枷、鎖をつけ、見せしめにする。
護国卿は鉄の兜、鉄の鎧を身に纏い、戟、剣、銃、大砲を用い、兵士を使って森に火を放つ。
鉄と炎は文明の象徴で、森と水の自然を脅かす。

オオカミは自然の象徴であり、異教徒の象徴でもあるのだろう。
広間の壁に掛けられたタペストリーには、馬上から戟でオオカミを討とうとする騎士の姿が描かれている。
これは聖ゲオルギウスの寓意だろう。


異国からやってきた者と、オオカミと暮らす者の出会い。
これは「もののけ姫」と構図が同じだ。
では結末はどうか。
「もののけ姫」のアシタカとサンは互いを理解しつつ、互いの領分を冒さぬよう離れて生きることを選ぶ。
「ウルフウォーカー」のロビンとメーヴは、双方の親とともに都市を離れ、自然の中で生きることを選ぶ。
ロビンが父を自然の側に呼び込むシーン、感動的には描かれているものの、私は少し怖いと思った。
ロビンと父は(偶発的とはいえ)“人間ではなくなった”のであり、これはもう都市への回帰は不可能であると宣告されたも同然だ。
都市ではロビン父子はもう「化け物」なのだ。

キルケニーの町の名を冠した「キルケニーキャッツ」という慣用句がある。
しっぽが繋がった二匹の猫は、自分の意思を通そうとお互いを攻撃する。しまいには二匹とも死んでしまう…というような寓話で
「お互いが相手の意見を聞き、落とし所を見つけないと、共倒れする」みたいな意味だ。
近代の外交を調べていた頃に知った単語なので解釈が間違っていたら申し訳ない。

映画の最後、住んでいた森を離れ、人間のいない新天地へ向かうウルフウォーカーたち。
オオカミと人間、両方の姿と言葉をもつウルフウォーカーは、自然と都市の間(あわい)にいる存在で、うまくいけば双方の落とし所が見つけられたかもしれない。
ウルフウォーカーたちが離れていったのは、本当の意味での都市と自然の断絶を表しているのかなと考えたりした。
今後、オオカミのいなくなったキルケニーの森は切り開かれ、予定通り耕作地となるのだろう。



映画のパンフに、神の子は「善き羊飼い」だから、羊を狙うオオカミは悪いものの象徴、と書いてあってなるほどなーーーーー!!!!!!!ってなりました