すっごい今更なのですが、イギリスBBC製作のドラマ「SHERLOCK」が私の中でアツい。

なんで今更?とお思いでしょう。なんせシーズン1が放送されたのは、もう10年近く前。
現状最新のシーズン4も放送は2年前である。
私から一つ言えることは、「沼はどこにでも口を開けて我々が落ちるのを待っている」ということだけだ。

数年前に突然ジョジョにハマってものすごい勢いで既刊全巻を揃えスカンピンになった挙句、書店のお姉さんにしっかり顔を覚えられ「何部が好きですか!?」というジョジョラー特有のトークをしたのも記憶に新しいですね。私は4部と7部推し。お姉さんは5部推しだった。
たぶんそういう性質なんですね。ハマったら一気食いする、みたいな。
同じような状況で最近ガルパンも観た。劇場版サイコー。継続高校推してます。ダージリン様も好きです。カール自走臼砲大好き人間にはたまらんですね。


さて、話を本筋に戻しまして
SHERLOCKをご覧になっていない方もおられると思うので、軽く作品のご説明。
先に申しておきますが、私はドイルの原作を読んでいません。
なので、「そんなことも知らずにシャーロック語るんじゃねえよニワカが!」と言われたら、「へへえ、お代官様、堪忍してくだせえ、この通りでごぜえやす」と中指…じゃなくて三つ指をつくしかないのでご了承くださいませ。


作品はご存知コナン・ドイルの探偵小説を基に、舞台を現代英国に移したもの。なのでインターネットもスマホもGPSもガンガン出てきます。
原作知ってたらこのへんのギャップも楽しめたんだろうな。

シャーロック・ホームズはコンサルタント探偵。
ジョン・ワトソンは元軍医。

キャラクターの詳しい(偏った)説明はこれ

「ブロマンス」という概念がある。
私がこの単語を初めて見たのはドラマ「チーム・バチスタシリーズ」の放送中とかそのくらいだったから、結構前からあった言葉のはず。
意味は「男同士の篤い友情」「四六時中一緒にスケボーをしているような関係」というような、性的な関係ではないけど仲がいい、いつも一緒にいる、みたいな感じらしい。

なにせこのSHERLOCKのシャーロックとジョン(ホームズとワトソンではない)はルームシェアしているのだから、四六時中一緒にいる。
シャーロックは不可解な事件に首を突っ込むし、スリルジャンキーなジョンもそれにくっついて行く。
そして周囲からあの2人付き合ってんじゃねえの??と思われている。2人の関係が上手くいくよう祈ってくれる人もいて、なんだか世界が優しい。本人たちがどう思っているかは皆様の想像にお任せするとして。


さて、全部を解説しようとすると長くなるので、シリーズ1〜4まで観た感想をかいつまんで書いていく。
あくまで私個人の、めちゃくちゃ偏った感想であることをつたえておきます。

これは、「神が人に堕ちる物語」である。
「何言ってんだこいつ?」とお思いでしょうね。
私も最近全シリーズ見終わったばっかで割と強めな幻覚見てるので、「何言ってんだ自分?」と思いながら書いていきますね。


先述の通り、シャーロック・ホームズは神である。もちろん比喩で。
シーズン1の彼は人知を超えている。Kさんは「超然的」と表現していた。
シャーロックは相手のちょっとした所作や些細な証拠から、真実を的確に見抜く。神に隠し事はできない。
退屈が大嫌いな彼は、殺人事件が起きれば嬉々として現場に飛んでいく。
人の命についてより、事件が難解かどうかが彼にとっての重要事項なのだ。まさにヒマを持て余した神の遊びである。

ところが、シーズン2の最終話「ライヘンバッハ・ヒーロー」で神は涙を流す。

ライヘンバッハといえば、原作でホームズとモリアーティが落ちる滝である。
それは私も知っていた。原作者ドイルは、高まるホームズ人気に辟易し、物語を終わらせるべくホームズを滝へ落としたのだ。

原作で滝に落ちるホームズが涙を流したかどうかは知らない。SHERLOCKのシャーロックは、滝ではなく病院の屋上から落ちる。その直前、駆けつけたジョンとスマホで会話しながら、涙を流すのだ。

SHERLOCKが好きだという後輩ちゃんはこの涙が「神が人間に堕ちる兆候」に見える、と言っていた。
超然的な全知の神は、相棒のジョンと別れる際に涙を流した。神の明確な感情が表出している。

未視聴の方には申し訳ないが解説しすぎるとネタバレになるので、どういう経緯かはぜひ作品を観てほしい。

宿敵モリアーティは、シャーロックにリンゴを与える。「知恵の実」だ。
私はこのリンゴが、シャーロックに与えられる「人知」の象徴だと思っている。


神だったシャーロックはライヘンバッハで死んだ。
しかし原作通り、シャーロックは帰還する。
シーズン3で見逃せないのは、やはりジョンの結婚式回である。
それまで孤高の神であったシャーロックは、人間の付き合い方がわからない。にも関わらず、新郎ジョンからベストマン(新郎の付き人)という重大な仕事を任される。
ここで初めて、シャーロックはジョンから親友だと思われていることを知る。理解が追いつかず、あの明晰な頭脳がフリーズしてしまう姿は可愛いの一言に尽きる。可愛い。とても。
周囲の人々のシャーロックに向ける心配と応援の眼差しは、完全に保護者のそれである。
式本番でシャーロックは「言葉を選ぶ(選びきれてないけど)」「周囲の空気を読む(読みきれてないけど)」を行なっている。
それは、新郎であり親友であるジョンの幸せをねがってのことなのだ。

その後、詳しくは説明できないがシャーロックはある人物に腹部を銃で撃たれてしまう。
薄れゆく意識の中、脳裏に現れたのは彼の周りにいる人々。どうすれば最小限の負傷で抑えられるかを説明してくれる。シャーロックを助けてくれるのだ。

私はこの回を観て、これが「人知」だと思った。
全知の神だったシャーロックはライヘンバッハで死んだが、復活し、人知(思いやりの心や、優しさ)と仲間を得たのだ。

人は生まれながらに人なのではなく、周囲の人に助けられながら人になってゆくのだ。



この関係すごく好きなんですよね…

シーズン3、4を通して、シャーロックはジョンを守ろうとする。正確には、ジョンと、ジョンが愛するものを守ろうとする。
そのためには自分が傷ついても構わない。シーズン1で連続殺人に喜んでいた超然的な神の面影はもうない。

問題は、シャーロック自身、神から人間に堕ちた自覚があるのか?という疑問である。
Kさんが提示して下さったのだが、これはあと10回ずつくらい本編全話見返さないと判断できそうにない。

ジョンの妻メアリーは、おそらくその疑問に到達していた。だから、あのメッセージを残した。
人間になったシャーロックは、愛を与えるばかりではなく、相手(ジョンや、仲間たち)からの愛を受け取る資格があるのだ、と、彼に自覚させるために。
愛は赦しである。詳しくは本編を見てください。
メアリーは本当にかっこいい女性だ。


シーズン4のシャーロックは明らかに今までと違う。
最終話なんて特にそう。完全に人間である。
誰かのために自分の明晰な頭脳と推理力を駆使し、誰かのために怒り、迷い、なんとしてでも救おうとする。

あっ待てよ…シーズン4のシーンで
シャーロック「僕たちは結局、ただの人間にすぎない」
ジョン「君でさえ」
シャーロック「いや、君でさえ」

というエモさ大爆発な会話がありまして…
ここでシャーロックは、自分が人間に堕ちたことを自覚したのかな…………

この会話エモすぎて100億通りくらい解釈があるのツラさで死にそうになりますね。


おそらく、人によってシーズン4は賛否が分かれるのではないかと思う。
シーズン1のようにスーパーヒーローの主人公が無双するタイプの作品ではないから、それを期待した人は否定的な意見を持つだろう。
SHERLOCKに限った話ではなく、作品のどの視点にウエイトを置くかで好き嫌いは分かれるものだ。それは仕方ない。

しかし、神が人に堕ちる物語として見たとき、これは見事な起承転結である。
脚本家の頭の中がどうなってるのか見てみたい。オーディオコメンタリーとか裏話とか詳しい話すげー聞きたい。
とりあえず、DVD BOXか Blu-rayBOXを買う算段をつけている。

キャラクター各人についての考察もしてみたいが、煩雑になるのでまたの機会に。
レンタル屋さんにもあるので、秋の夜長にぜひ。