この土日は暑かったですね!
灰原は出かける予定がなかったので、自宅で髪を染めていたのですが、そんなときに限ってくるのが宅配便ですよ(ははは)。
ピンポン、と鳴ったとき、一瞬居留守を使いそうになりましたが、暑いなか二度も三度もドライバーさんにご足労いただくのも申し訳ないし、シャワーキャップを2重にかぶったマッシュルーム頭で受け取りました……恥ずかしい。
やってきたのは、沖縄産のパイナップル。1ダース。
石垣島に嫁にいった幼馴染から暑中見舞いだったのですが、なぜ1ダース。
いや、気持ちは大変ありがたいのですけども、12個ものパイナップルを目前に、灰原は途方にくれています。ご近所におすそ分けしようにも、どうも近所の幼馴染たちの家に、同じものを送っているらしい。
豪快ぶりは相変わらずで、元気そうだなと、安心しましたけどね。
大量のパイナップル(生)を上手に消費するレシピ、なにかないでしょうか。
ジャムになるのかなあ。
昨季、世界選手権直前に、長年のコーチであったパム・グレゴリー氏から、リチャード・キャラハン氏にコーチ変更したキミー・マイズナー選手。当初は短期の変更ということだったのですが、もとのコーチのもとに戻ったという情報はなく、まだフロリダにいるのかな、と、ちょっと気になっていました。
『International Figureskating』のHPで、キミーの消息が伝えられています。
原文はこちら→ http://www.ifsmagazine.com/forum/index.php?showtopic=656
本日は、この記事の、不正確な日本語書き取りにチャレンジしたいと思います。長いので、今日は前半。
いつもの言い訳ですが、灰原は英語ができるわけではなく、これからお目にかける文章は、機械翻訳の文面を日本語らしく整えただけのもので、間違いは当然ありえますし、わからないところは飛ばしたりしています。原文もご覧ください。もしよろしければ、間違ってる箇所をお教えくださるのも、ありがたいです。
それでは、本文にお進みください。
【キミー・マイズナー スケートへの愛の回帰 その1】
フロリダ、コーラルスプリングス。フォート・ローダデイルの町から北西に20マイル。その地こそ、いま彼女が「うちから離れたうち(home-away-from-home)」と呼ぶ場所です。
2月の前半に、故郷のベルエアの町を離れ、陽光輝くこの南の町を本拠とするリチャード・キャラハンコーチの門下に入り、教えを受けるため、彼女はコーラルスプリングスにやってきたのでした。
昨シーズンのグランプリシリーズ開幕戦、スケートアメリカで金メダルを勝ち取ったあと、エリック・ボンパール杯でも彼女は2位に入りました。しかし、そのあと、まだ若く才能ある彼女は、不振に陥りました。2007/2008年グランプリファイナルでの演技は、マイズナー選手にとって災厄のようなものでした。彼女は3つのジャンプに失敗し、表彰台からはるかに離れた、最下位という成績に終わりました。
2008年全米選手権を、7位という不本意な結果で終えたあと、マイズナー選手は、いまが決断のときであると悟りました。
「全米選手権での結果は、私にとっては厳しいものでした。でも、あの結果があったからこそ、いろんなことが見直せたんです」と、マイズナー選手は語ります。「私には、その以前から、幼いころからのやりかたではいろんなことが上手くいかなくなっていると、わかっていました。昨年の夏くらいから、以前のコーチと私とのあいだに、考えかたの違いが出始めていたんです。私たちの関係は変わってしまっていました。私は、自分自身に言ってました。『なにかを変えよう』。でもね、具体的にどうすればいいのか、考えるのも実行するのも、なかなか難しいことだったんです。
たいへんなプレッシャーの中で全米選手権を終えたあと、私は悟りました。『もはや一刻の猶予もない。練習環境を変えなければ』。決心するのは簡単ではありませんでした。両親は私にこう言いました。『自分がなにをしなければならないのか考えなさい。あなた自身で決断しなければならない』って」
そして、全米選手権の2週間後、キミー・マイズナー選手はコーチを移りました。
リチャード・キャラハンに師事するためフロリダに行くという彼女の決定は、トッド・エルドリッジ氏がキャラハンコーチの教え子であったという事実によって、強められたといいます。
「私は以前、スピンをトッドにコーチしてもらったことがあります。彼との練習は楽しかったです。全米選手権のあと、私がショックを受けているだろうと気遣って、トッドは私に電話をしてきてくれたんです。そして、こう言ってくれました。『君はキャラハン先生に教えてもらうといいと思う。私はすべてを彼から学んだんだ。キャラハン先生は君にすごく合っていると思うよ』って。私はこう思いました。『失うものはなにもないわ』って」
ワールドに出場するころには、彼女はまったく新しいペースの中にいました。
「試合に出られたことを、とても幸運に感じています。世界選手権代表は、全米選手権のあとに決定されました。全米9位という成績で、ワールドに出場することを、私は望んでいたわけではありません。でも、状況的に、世界選手権でとにかく最善を尽くすしかない、自分にはそれしかできないと思いました。私はイエテボリで、精一杯攻めの滑りをしました。そうしたことで、長く私を閉ざしてきた固い壁のいくつかを、乗り越えられたように思います」
はい、今日はここまでです。お疲れさまでした。
キャラハン氏とのコーチ変更について、トッド・エルドリッジさんの影響があったという記事は読んだことがあるのですが、かなり具体的に踏み込んだアドバイスがあったのですね。なかなか、そこまで言ってくれる人はいないと思います。貴重な応援団ですね。
全米7位で世界選手権に選出されたキミー。上位3人は年齢制限ゆえに出場資格がなく、実績を買われてのこととはいえ、本人も複雑なものがあったようですが、選ばれたのだからベストを尽くすしかない、と頑張った結果、一桁順位の9位に残ることができた。アメリカ女子としては最高位で、選出された期待に充分こたえたと言えると思います。
イエテボリでの演技は、たしかにミスもありましたし、キミーのベストの出来栄えではなかったかもしれません。
でも、清清しさがありました。当時の精一杯を見せてくれた、と思いました。
キスクラでもとてもいい顔をしていたので、ああ、来年のキミーはきっと大丈夫だな、と思ったことを思い出します。イエテボリで「超えた」と思えた悩みごと、壁について、いつかもっと詳しく語って欲しいな、とも思います。
インタビュー後編は、明日にでもアップできると思います。どん底からの再起について、キミーらしいおだやかな言葉で、語ってくれています。できるだけ間違わないように頑張りますね。
今日、インタビューを読みながら、久々にキミーの演技を見ました。やっぱりカルガリー世界選手権優勝のときの笑顔、素敵ですね。
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