日焼け止めでまけて、えらいことになっていた灰原の顔ですが、ラベンダーオイル入りグレープシードオイルでのパックなどが効いたのか、表面の乾燥した皮膚がはがれてまいりました。
どひー。手で触るとざらざらです。
若い子ならともかく、おばちゃん灰原、このまま、回復しないままになるのでは、とか考えると恐ろしいのですが、悪いところがはがれたあとは、元に戻ると信じたいです。
とにかく保湿、保湿で、お肌にやさしく。しばらく日焼け止め使用はストップです。
しかしなあ、これから夏に向けて日焼け止めを使わないわけにはいかないし。肌に合うものはないものか。お店で相談してみようかしら。
灰原が大好きな、ボーン&クラーツ組の片割れ、ヴィクター・クラーツさんのインタビューが『THE VANCOUVER SUN』に上がっています。
灰原、ほんとにもう大好きなんですよー、ボンクラ組。愛称が「ボンクラ」ってどうなのという説もありつつ。そんなわけで、今日もまた、機械翻訳に頼りまくった日本語書き取りをお届けしたいと思います。
間違いもあるはずなので、ぜひ、原文もお読みください。こちら→ http://www.canada.com/vancouversun/news/sports/story.html?id=9b099f7f-e242-4ebc-a195-d33490f8b60a
【THE VANCOUVER SUN:Take5】
カナダ選手権10回優勝、2003年世界チャンピオンにも輝いた競技生活を退いてから、ヴィクター・クラーツ氏(選手時代のパートナーはシェーリーン・ボーン氏)は、バンクーバーを拠点にコーチとして名声を確立してきました。
インタビュアー:
フィギュアスケートをいつ、どういうふうに始められたか、教えていただけますか?
クラーツさん:
10歳のときでした。スイスでスケートをはじめたんです。はじめは遊びでした。ちょうど、夏にはテニスコートになる屋外リンクがあったんですよ。スケートをはじめたのは、住んでたところからスキー場が遠かったから。アイスリンクまでは、自転車でものの5分で行けたんです。
インタビュアー:
ご家族でカナダに転居されたとき、あなたはおいくつだったんでしょうか。
クラーツさん:
16歳です。最初の移住地はQualicum Beachです。それから、西バンクーバーにあるSentinel Secondary高校の12学年へ編入しました。その学校では、半日勉強して、残り半日はスポーツの練習にあてることが許されていたんですよ。
インタビュアー:
どれくらいの期間、カナダの育成システムのもとで訓練なさったんでしょうか。
クラーツさん:
さほど長い期間ではありません。パークスヴィルのSandy Shores Clubで、1987/88シーズンから私は練習を始めました。ちょうどカルガリー五輪の年でした。聖火リレーが町を通り抜けていったとき、「オリンピックに間に合いたかった」と痛切に感じたのを覚えています。
インタビュアー:
何人かのパートナーと組んだすえ、なぜシェーリーン・ボーンさんと組まれることになったのですか?
クラーツさん:
一時的なパートナーはいたことがありますけど、ちゃんとしたパートナー、タリン・オニールと組んだのは私が16歳のとき、見つけたのはここ、バンクーバーで。私たちは今日現在も、親友同士です。
タリンとパートナーとなってから、訓練をうけるために、私たちはいっしょにケベックに引っ越しました。しかしそこで、タリンは両膝を故障してしまいました。
私は新しいパートナーを探さざるをえなくなりました。そして、シェーリーンと組むことになったんです。
インタビュアー:
旧採点法時代のご自身たちの評価にたいして、あなたとシェーリーンは不満がありますか?
クラーツさん:
まずはじめに「いいえ」と申し上げます。
しいていえば、長野五輪のとき、私たちが疑問点について率直に語って以降、ひっかかるところはなくなっていったと感じています。
たくさんの人たちに、なにが起こり続けているか、わかってもらえたので、あのときは率直に語ってよかったとは思います。しかし、あの発言は、私たちのキャリアに傷をつけました。
はい、ここでおしまいです。お疲れさまでした。
記事タイトルの、Take5、というのは、引退後5年、というのを、ジャズの名曲Take5にひっかけたものかな、と思います。
灰原は、アイスダンスをちゃんと見たいなあ、と思いはじめたころに、まず嵌ったのがボンクラで。なんていうんだろ、とても楽しそうだったんですよ、ふたりの滑りが。見てる側も、いっしょに踊りたくなるかんじ。クラーツさんご自身が、プロスケーターとしてよりもコーチとして、裏方に回りたい意向のようで、いまでは、記念イベントなど非常に稀な機会でしか、おふたりの滑りが見られないようなんですが、カナダはこれからバンクーバー五輪絡みのイベントも増えますし、演技が見られる機会がもっと増えるんじゃないかと、灰原は勝手に期待しています。
インタビューの後半に出てくる「長野五輪のとき、疑問点を率直に語った」と日本語にしたところは、自分たちの長野五輪4位はおかしいとして、彼らがジャッジに抗議した、という事件ですね。結局抗議しても結果は覆らなかったんですけど……。
旧採点法時代のアイスダンスのジャッジは、かなり、実績がものを言う世界で、たとえどんなに難易度の高い技を決めても、実績に劣る若い組は、なかなか得点が出ない……という側面が、なきにしもあらずだったと言われています。シーズンイン直後のGPSの得点で、すでに世界選手権の順位までわかる、と言われていたようです。
ただ、やはり、評価の高い組は試合でも力を出してくるので……。
アイスダンス採点における実績偏重の実情を、自分たちの抗議で世間に知らせられたものの、結果的に、ちょっとジャッジに嫌われることになってしまった。というのが、クラーツさんの悔いかもしれません。とはいえ、ご本人たちも世界選手権制覇していますからね。素晴らしいキャリアです。
ソルトレイクのFD、ほんとに素晴らしい出来で、あとちょっとでメダルってところだったですよねえ! フィニッシュポーズで転倒するとわかっているのに、何度見ても最後で声を上げてしまいます。でも、転倒を含めて、あのFDは、たくさんの人の記憶に刻まれています。
ああ、また、ボンクラの演技が見たいなあ。ビデオ探さなくっちゃ。
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