おとといからチャレンジしている、Golden Skate 浅田真央選手article日本語書き取り。今日も続き。やっとラストです!
いつもの言い訳ですが、灰原は英語ができません。これからお目にかける文章は、機械翻訳を日本語っぽく整えただけのもので、間違いは当然のごとくありえます。
よろしければ、原文こちら→ http://www.goldenskate.com/articles/2007/060708.shtml
もごらんいただけると、うれしいです。
それでは、本文にお進みください。
【浅田真央選手は、方向性を探ります その3】
5歳のときから、浅田真央選手は姉の舞選手を追ってスケートをはじめました。舞選手も国際大会に出場する選手です。スケート以前に、姉妹の習い事は、バレエからはじまりました。バレエをはじめたとき、真央選手は3歳でした。
「舞とわたしはバレエをやっていました。バレエのために、姉がもっと足首を強くする必要があると思った母が、家から10分のところにあったリンクに、わたしたちを連れて行ったんです。姉がレッスンを受けるついでに、わたしも練習することになりました」
浅田選手はその後、日本初の世界チャンピオンとなった伊藤みどり選手を指導した山田満知子コーチの門下に入りました。そして、シニアに上がった翌シーズン、2006年から、カリフォルニアのラファエル・アルトゥニアンコーチのもとに移りました。
2008年1月、彼女は、日本スケート連盟に指導を委ねて日本に帰国することに決めました。
「家族と暮らして、和食を食べて、わたしの犬たちと過ごしたかったんです」と、浅田選手は言います。「日本にコーチがいないことを、わたしはそんなに心配しませんでした」
浅田選手は、現在、1日4時間、週に5日、中京大学のアイスリンクで練習します。彼女はほかに、半日のオフアイストレーニングと、バレエのレッスンを継続しています。
「新しいリンクができたので、氷上練習の時間を多くとれるようになりました。日本で個人練習の時間をとるのはとても難しかったので、以前は、夜中の1時とか、あとは早朝とかに、わたしは3つのリンクをはしごしなきゃいけませんでした。わたしは、なにを練習しなきゃいけないのかわかっています。この夏には、新しい先生につくかもしれません」
浅田選手のコーチ候補のひとりは、タチアナ・タラソワ女史です。彼女は、日本フィギュア界ただひとりのオリンピック金メダリスト、荒川静香選手のコーチでありました。しかしタラソワ氏は、現在、不調にあえぐロシアスケート界の母親的存在。浅田選手のコーチ依頼が受け入れられるかどうか、ことは簡単ではありません。
浅田選手は、昨季のSPの振付を依頼したときタラソワ女史と知り合い、信を置くようになりました。タラソワ女史が作ったプログラムは、ジャン・クロード・プティのオーケストレーション「ファンタジア」からのもの。ローリー・ニコル氏が振付けた昨季の彼女のFSの曲もまた、ショパンの「ファンタジア」です。浅田選手は、ガラ・プログラムでもショパン作曲の「So Deep is the Night」を使いました。
浅田選手は、来期もSP、FS、両方のプログラムを新調する予定です。タチアナ・タラソワ氏にFSの振付を依頼するため、彼女はロシアに旅立ちました。このあと、SPの製作をしに、カナダのローリー・ニコル氏のもとにおもむきます。
高校を卒業するまであと1年。彼女が日本で練習したいと願ったもうひとつの理由……
「わたしはカリフォルニアにいたとき、たくさん宿題をしなきゃいけませんでした。それでも、勉強についていくのは難しかったです」
浅田選手の得意科目は芸術と体育です。
「風景画を描くのが好きなんです」
と、浅田選手は言います。バレエ以外で、氷を離れての彼女の趣味は、友だちとおしゃべりしたり、スケートピンを集めたり、ファンタジー小説を読むこと。さらに大好きなのは、トイプードルの愛犬エアロと、2匹の子犬たち、コマチとティアラと遊ぶことです。
エアロは、チョコレートバーの名をとって名づけられました。浅田選手がそのお菓子のファンだとわかったため、犬とともにコマーシャルに出演することになりました。彼女はまた、オリンパスカメラのコマーシャルにも出演しています。
浅田舞・真央姉妹は、日本カナダ親善大使にも選ばれていて、その役割もあり、カナダに旅行しました。カリフォルニアでの生活は、彼女の英語を上達させましたが、しかしまだ、彼女は今後の目標として英語力の向上をリストに載せています。
冬季オリンピックがカナダで開催される2010年、浅田選手はカナダに「帰りたい」と望んでいます。彼女はそのオリンピックの金メダル候補本命のひとりと見なされていますが、17歳のいま、彼女は自分が年をとっていると感じています。もっと若い選手たち、たとえばキャロライン・ジャン選手やミライ・ナガス選手たちとの戦いは、厳しいものとなるだろうと考えているのです。
はい、これでおしまいです。おつかれさまでした。
浅田姉妹がスケートをはじめたあたりのお話は、いままで日本の報道でも何度か見たことがあるんですけども、やはり、リンクが家から近かった、というのが、とてもファクターとして大きかったのがわかります。
荒川静香さんもそうだったし、高橋大輔選手もそうだったし、安藤美姫選手もそう。家から近いところにリンクがあったり、できたりしたから「じゃ、いってみようか」ということになり、才能を見出されてきたんですね。それ考えると、昨今のリンク閉鎖事情とか、やっぱり気になってきますね。どれだけの才能とリンクの出会いが失われているのかと思ってしまいます。
浅田姉妹の最初のコーチは、山田先生ではなくて、安藤美姫選手とおなじ門奈先生なんですけども、安藤選手と浅田姉妹がそもそも同門だというのは、海外メディアではあんまり報じられたことないような気がします。なんででしょ。
浅田選手の帰国理由についても、少し触れられています。「家族と過ごしたかった」「学校に通いたかった」って、すごくあたりまえで、大切な気持ちですよね。どんなに練習環境がよくても、支えてくれる人たちがいなければ、実力も発揮できなかったりすると思うし。人気選手の場合、日本のリンクだけで練習するのは難しいとは思うんですけど、うまく海外合宿とかも混ぜながら、過ごしやすい生活環境で、エアロちゃんたちに癒されながら、気持ちよく練習して欲しいなあと、ファンとしては願います。うん。
17歳にして「もう年をとっている」と感じているという浅田選手。スケートには早熟の天才が多いし、真央ちゃん自身もそうだったから、そう感じるのも無理はない、とは思うんですけども、灰原なんかが言うのも変ですけど、真央ちゃんはまだまだこれからじゃないんでしょうか。
だって、確実に毎年進化しているじゃないですか。14歳のデビューシーズンの真央ちゃんはたしかに印象としては鮮烈でしたけど、いまあらためて演技を見ると、いまとはけっこう差があるのがわかって、びっくりするんですね。技術的に上手くなってるのはもちろんなんですけど、表現がすごく深くなってきた。表現者として、たいへんな成長を遂げていると思うし、年齢を重ねていくごとに、表現力は高まる一方だと思うんです。
イエテボリで真央ちゃんが優勝できたのは、2度の3+3を降りたから、だけではないはずです。彼女の演技が人の気持ちを動かしたから、勝てたんだと思うんです。
技術的に高度ではあるかもしれませんが、幼いスケーターたちの表現力というのは、やはり年齢なり、経験なりのものでしかないように思います。かつての真央ちゃんがそうだったようにです。
失敗したり、悔しかったり、うれしかったり、楽しかったり、年とともに重なるなにもかもが真央ちゃんのアドバンテージであって、ハンデではありえません。これは真央ちゃんだけじゃなくて、ほかのスケーターみんなについて思います。
これからも経験を重ねる真央ちゃんの進化が楽しみです。
しかし、言われてみれば、去年のプログラムはSP、FS、ともに「ファンタジア」だったんですね。面白い。
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