きのうからチャレンジしている、Golden Skate 浅田真央選手article日本語書き取り。今日も続きです。
いつもの言い訳ですが、灰原は英語ができません。これからお目にかける文章は、機械翻訳を日本語っぽく整えただけのもので、間違いは当然のごとくありえます。
よろしければ、原文こちら→ http://www.goldenskate.com/articles/2007/060708.shtml  もごらんいただけると、うれしいです。
それでは、本文にお進みください。



【浅田真央選手は、方向性を探ります その2】


2007-08シーズンのあいだ、浅田選手はSPでは単発3Lzと3F+3Loコンビネーションという構成を使い、FSでは、3F+3T、3F+3Loというふたつのトリプルトリプルジャンプに、3A、さらに2A+2Lo+2Loのコンビネーションを入れました。単発のトリプルジャンプは、ループとルッツ。演技のシメは2Aです。
「去年は、ステップの練習に集中しました」と、浅田選手。「いまわたしは、ジャンプ以外の、スパイラルみたいなエレメンツからでも、もっとたくさん点がとれるようにがんばっています。夏のあいだには、たぶん、4Tと4Loの練習に取り組むでしょう。以前も練習してみたんだけど、クリーンには降りられなかったんです」
浅田選手はまた、3Aコンビネーションの習得も望んでいます。
「また、試合で2度の3Aにチャレンジするかどうかは、まだわかりません。わたしの目標は、ノーミス、パーフェクトに滑ることです」
彼女が8つ、あるいは9つのときに、はじめて降りたトリプルジャンプはサルコウでしたが、浅田選手は2007-08シーズンのどの試合でも、3Sを使いませんでした。けれど彼女には、4Sの練習と習得も可能なのです。
「まえ、レベルとか点数を計算したとき、わたしのプログラムで最高に点がとれるのは、3Sがない構成のときでした」と、浅田選手は説明します。「わたしが3Sをきれいに降りれないとかいうことはありません。ただ、正直言ってサルコウは好きじゃありません。わたしは3Aが好きです。アクセルはわたしにとってはすごく自然なジャンプで、すごく小さいときから、練習を重ねてきたんです」
わずか13才のとき、浅田選手ははじめて3Aを降りて、いくつかの記録を作りました。2005年JGPFフリープログラムにおいて、ISU開催ジュニア大会ではじめて3Aを降りた女子選手となり、2005年全日本選手権においては、2度の3Aを降りました。そして、2006年世界ジュニア選手権では、ISU主催ジュニア国際大会のSPで3Aを降りた、はじめての女子選手となったのです。
いまや17才の浅田選手は、3Aや3+3コンビネーションを武器に、2001年ごろから、ノービスやジュニアの大大会に出場をはじめました。
11才のときには、浅田真央選手は、試合で3F+3Lo+3Tを降りた、はじめての女子スケーターとなったのでした。



はい、今日の書き取りはここまでです。お疲れさまでした。
ロシアに練習に出たきり、とんと消息の聞こえてこない浅田選手ですが、ロシア行き以前にこたえているこのインタビューからは、今後の練習の方向性などが少し伝わってきますね。
浅田選手が3Sに問題を抱えているのでは、という噂、以前から根強かったのですが、今回このインタビューで、ご本人が「飛べないことはない」「でも苦手」と明言してくれて、うん、すっきりしましたね。
4T、4Loの練習には、以前、チャレンジしているというお話は伝わってきて、でもそのときは、結局沙汰やみになったんですよね。練習を再開するということで、灰原的には、ぜひ、4Loを重点的に練習して欲しいなあと思います。もし、試合で4Loを降りられたら、男女あわせて世界初の大快挙ですから。がんばって欲しい!
いまごろ、ロシアでは、スパイラルの特訓中でしょうか。つぎのシーズンからスパイラルは規定が相当難しくなって、6秒保持なんですよね。そんなに長く単一姿勢をとるスパイラルって、新採点法が決まって以来のここ数年、見たことないです。
イエテボリワールドでは、若干の取りこぼしのあったスパイラル。タラソワコーチの特訓で、きっと進化を遂げるのでしょうね。楽しみです。
それでは、この記事の続きは、明日また日本語書き取りにチャレンジします。
長い記事って、読むの大変ですけど、やっぱり楽しいですね。





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