きのうの続き。Golden Skateの安藤美姫選手インタビューの後編です。
どーでもいいことですが、安藤選手の名前って機械翻訳を通すと、フルネームなら「安藤美姫」って一発で出るんですよね。Miki、だけだと「三木」になっちゃったりするんだけど。浅田真央選手もそうで、これってすごいことなんじゃない? 名前が辞書登録されてるってことですよね。
高橋大輔選手は、多く、「高橋大介」って出ますね、まだ。字が違う。
ちなみにMao、だけだと、「毛」って出てきますね。中国語読みか。
こういう辞書登録って、誰がしてるんだろう。どういうシステムなんでしょうね?
あと、機械翻訳というと、quad という単語が「中庭」と出てきます。4Tはよく英語記事だと、quad toe って書いてあるんだけど、「中庭つま先」って出てくる。
もう慣れましたが……さすがに何とかならんかなと思わないでもないです。
クワドがらみの記事を読むたびに、中庭健介選手を思い出します。じゃあこのまんまでもいいか。
ジョニー・ウィアー選手の「ウィアー」は、ダムとか堰とかいう意味らしく、自動翻訳のソフトによりますが「ジョニー堰」とか「ジョニーダム」とか出てきます。ジョニーダムって、どんなダムだろう。美しそう。
スパイラルは「螺旋」って出ますね。そのあたり押さえておくと、自動翻訳記事が格段に読みやすく……なるのかなあ。
微妙。
さて、前置きが長くなりましたが(わはは)、いつもの言い訳。灰原は英語力がなく、これからお目にかける記事は機械翻訳を日本語っぽく直しただけのもので、間違いがありえます。ぜひ、原文もご覧くださいね。



【Golden Skate:安藤選手の浮き沈み その1】



9歳になるまで、安藤選手はスケートとは無縁でした。
「スケート以前に、いろんな習いごとをしてたんです。スイミングに、ピアノ、書道。学校の友だちといっしょにリンクに行くようになって、やっとスケートをはじめたんです」
しかし、遅いスタートにもかかわらず、彼女の技術習得はきわめて速く、11歳までに、すべてのトリプルを降りたのです。
そして2002年に、彼女は世界で始めて4回転を降りた女子選手となりました。JGPSで、4Sを降りたのです。じっさいには、彼女はその2年前に4回転をものにしていて、4Sと4Tが跳べたのだといいます。
「サルコウはスウェーデンゆかりのジャンプですから、イエテボリワールドで、4Sをプログラムに加えたかったですね」と、ニコライ・モロゾフ氏は語ります。「昨年は4Sは必要なかった。でも、今年は重要でした」
安藤選手の今季のプログラムは、SPがサン・サーンスの「サムソンとデリラ」。FSがビゼーの「カルメン」。モロゾフコーチは、彼女のプログラムすべての振付を担当します。
「はじめて振付けてもらったプログラムが好きだったんです。それで、モロゾフコーチの指導をうけることにしました」と、安藤選手。「こんなにハイレベルな振付は、はじめてだったんです」
「彼女にぴったりした音楽を見つけるのは、つねに、非常に難しいです」と、モロゾフ氏。「私は、彼女をより高いレベルに押し上げて、いままでにはない新しい表現を作りたかったのです。彼女の容姿は、少しアラビア的に見えるので、サムソンとデリラは彼女にいいと思いました。そして、カルメンは非常に強力な音楽です。多くのスケーターたちに使われてきました。私は、安藤選手がこのプログラムに対する準備ができていると感じました。彼女は非常に女性らしく成長しています」
安藤選手は語ります。
「わたしは、エモーショナルで女らしい、セクシーなプログラムを演技したかったんです。とくにカルメンは、スケーターのあいだでは有名な曲です。わたしは内気なたちで、氷上での表現が苦手です。艶っぽく上手に体とか表情とか、なかなか動かせませんでした。それでわたしは、カタリナ・ビット選手が滑るカルメンを見ました。彼女の演技はとても刺激的で、そこからわたしは学びました」
シーズンはじめに、安藤選手はクリスティーナ・アギレラの「Time to Say Goodbye」で滑りました。
「有名な話ですが、彼女は、お父さんにさようならと言うことができなかった。だからこのプログラムを作ったのです」と、モロゾフ氏は語ります。しかし、四大陸では、クローデット・オルティスの「Handcuffs」で滑りました。
「わたしは、ガラのために、違うプログラムを滑りたかったんです。ガラのまえに頭痛がしたんだけど、自分で自分をリラックスさせました。衣装は東京のお店で買いました」
安藤選手はこうも語ります。
「ショーより試合が好きです。ノービスの試合ではじめて勝ったとき、エキシビジョンがありました。わたし、エキシビジョンを滑らなきゃいけないって知らなかったんです。ショー用のプログラムがなくて、泣いてしまいました。だから、あんまりいまでもショープログラムが好きじゃないのかも」
安藤選手は、過去5年のあいだ、金色のブレードを使いました。
「金は、チャンピオンの色だから。わたし、チャンピオンでありたかったんです」
安藤選手の望みは、バンクーバー五輪で金メダルを獲得して、指導者への道を進むことです。
「わたしが滑るのは、あと2年か3年だと思います。わたしの夢は、小さな子どもたちのためのコーチになることです」
氷から離れた安藤選手は、友だちとおしゃべりしたり、踊ったり、料理したりして楽しみます。
「わたし、ボルシチも作れるんですよ」と、彼女はいいます。「ときどき、ブロードウェイのショーを見るために、ニューヨークまでいきます。ずいぶんいろいろ見ました。Cat'sとシカゴは、もっと見たいです。でも、ニューヨークの町は、わたしには大きすぎですね。わたしはもっと静かなところが好き」
安藤選手は、ディズニー映画や日本のアニメのビデオを集めて楽しんでいます。そして、実家では、2匹のペット…インコと犬が、彼女を待っているのです。



はい、書き取り終了です。お疲れさまでした。
今シーズンの美姫ちゃんが語られた前半から、後半は、美姫ちゃんの越し方、行く方、が語られています。
ノービスの試合で初優勝って、いくつくらいのときなんでしょうか。たぶん、スケートはじめて、2年とか3年とかのころですよね。9歳から初めたとして、最大でノービスに出られるの13歳までだし。9歳ですでにノービスBの年齢でしょ。
門奈コーチ、まさか優勝するとは思わなかったのかもしれませんね。だからエキシビのプログラムがなかったのかも。本人にとっては、エキシビがないことが悲しく、つらかったのかもしれないけれど、周りの大人たちは「うそ! この子優勝しちゃったよ!」と驚いていたのでは。そんなことを感じました。
選手は誰でも、いつかは競技を終えます。いまは、バンクーバー五輪を目処に考えているみたいな美姫ちゃん、もしかして彼女のキャリアは、それ以上に伸びるかもしれないし、指導者になる以前に、ショーの世界にいってもいいな、と思うかもしれない。それでもいつかは、彼女がいま望むとおりに、小さな子どもたちのコーチになって欲しいな、その未来は素敵だな、と、灰原は思いました。
門奈コーチが、彼女を、スケートが大好きな選手として育ててくれたように、美姫ちゃんの教え子も、スケートが大好きで伸びていったらいい。いつか、キス&クライで、教え子を抱きしめる美姫ちゃんの姿が、見られたらほんとうにうれしいです。
まずは治療、それから来季ですね。頑張って!




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