さて、きのうに引き続いて、『Golden Skate』高橋大輔選手特集記事、日本語書き取りの続きです。
元記事はこちら→ http://www.goldenskate.com/articles/2007/033008.shtml
昨日更新した、前半の記事URLはこちら→ http://ameblo.jp/haibaran/entry-10084851206.html
もともとはひとつの記事なので、前半からお読みいただけると、うれしいかも。
いつもの言い訳です。灰原には英語力はありません。これからお目にかける文章は、英語の原文を機械翻訳にかけたものを、日本語らしくととのえただけのもので、読み取り間違いはありえます。わからない箇所など、飛ばしている場合もありますので、よろしければ、ぜひ、原文をお読みいただけるとうれしいです。
それでは、本文にお進みください。
【Golden Skate:高橋大輔選手article その2】
~高橋選手は変化を愛する~
高橋選手は、じつは、いままでよりずっと強くなっています。
フィギュアスケートファンには、2002年世界ジュニアチャンピオンになった、イキのいいスケーターのことは、知られていました。世界ジュニア優勝以来ずっと、大器とみなされていたのです。しかし、シニア入りした高橋選手が華々しい成果を掴むためには、メンタルコントロールを身に着ける必要がありました。
2005年の四大陸と、2005-6年のGPFでメダルを獲得した高橋選手は、2007年の世界選手権で銀メダルを獲得、大きな前進を祝いました。2004年のワールドでは彼は11位、2005年のワールドでは15位だったのです。2006年のトリノ五輪では、彼は8位でした。
「ダイ」はワイルドなヘアスタイルをして、猛烈なスピードでリンクを滑走、みなぎるエナジーで、すべてを飲み込みます。エキシビジョンショーですら、高橋選手にはワークアウトのようなもの。高橋選手は、エキシビジョン出演を好みます。スケートをはじめたとき、スケートは彼にとって楽しみでした。8つの年に、4人兄弟の末っ子だった高橋選手を、両親がリンクに連れて行ったのです。
「僕はスケートを楽しみました。競技についての野心なんか、少しもなかったです。もともと両親は僕になにか運動して欲しいと思ってたんだけど、僕は嫌で。ちょうどアイスリンクが自宅の近くにできたので、スケートはどうか、と、両親が提案してくれたんです」
いったんスケートをはじめたら、彼はすぐに虜となり、けして立ち止まりませんでした。いまより若かったとき、彼はとりわけアイスダンサーたちの影響を受けていました。
「僕、グリシュク&プラトフ組と、アニシナ&ペーゼラ組が好きだったんです」と、高橋選手は言います。「ほかには、ブライアン・ボイタノとか、スコット・ハミルトンも好きでした。でも、アイスダンスがいちばん好きでした」
高橋選手は、彼自身がアイスダンサーになろうとは考えませんでした。日本にはアイスダンスの伝統がありませんし、アイスダンスをするには、身長も足りませんでした。しかし、ダンスへの愛情は、彼の表情ゆたかなプログラムと、氷上での動きの中に名残をとどめます。
高橋選手が、ニコライ・モロゾフコーチに師事したのは、おそらく偶然ではないのでしょう。モロゾフ氏は、コーチ業に手を染める以前、アイスダンスの競技者でありました。
高橋選手は、日本では、長年のコーチ長光歌子氏と練習し、毎月、アメリカと日本をいったりきたりしています。日本では、練習環境が整った大阪の関西大学で訓練を受けています。
「ダイスケ」という彼の名は、日本語の「大好き」と近しい音を持っています。彼は、スポーツ史とスポーツ心理学を専攻する大学生でもあります。アメリカのリンクにいるときは、安藤美姫選手とだけでなく、アメリカのアダム・リッポン選手や、村上大介選手とともに練習しています。アメリカにいるときは料理も作ります。
「アメリカにいるときは、とにかくスケート、スケートです。やっぱり日本が好きなんで、アメリカにいるときに、日本の友だちとか、生活のことを思い出して、さびしくなることがあります。でもマンハッタンの近くで、ニューヨークの近くで生活できることは、面白いこともあるかな」
全日本チャンピオンは町遊びが大好きです。買い物(特に!)や、友人と会うこと、カラオケなどを好みます。はじめて練習のために渡米したとき、彼は英語がほとんど話せませんでした。とはいえ、スケート用語の多くが日本語と英語共通だったので、モロゾフコーチの意思疎通に大きな問題はなかったのですが。
「はじめのころ、ニコライにはだいぶ叱られたんですよ。ちょっと怖かったです」と、過去を思い出して、高橋は笑いました。「フットワークやウォームアップで、馬鹿みたいな間違いをいっぱいしてたから。コーチは僕の練習を評価しませんでした」
現在、ここ2シーズンほど、高橋選手は、コンスタントな結果をおさめるようになっています。2008年の全日本に優勝したとき、彼は、ひとつのプログラムで、はじめて2本のクワドを降りました。
高橋選手は、ヒップホッププログラムへの愛情と同じくらい強い気持ちで、来季の、SPとFS、2本の新しいプログラムに挑むつもりです。
「変わっていきたいんですよ」彼は説明します。「どんどん違っていきたいし、成長したい。スケートのいちばん好きなところは、注目を浴びられるところです。フィギュアスケートって、観衆全員が、競技場で演技しているたったひとりを見る唯一のスポーツなんですよ。珍しいですよね。ほかのスポーツでは、たいがい、2人以上が競技場に出てるものなんだけど。しかも競技には音楽をともなっていて、芸術的でもあるんです。こういうスケートのぜんぶが、僕は好きです」
フィギュアスケートの好きでないところを聞かれたとき、高橋選手ははじめ、答えられませんでした。
「たぶん、スピンかなあ」ついに、彼は言いました。「僕、スピンがけして好きじゃありませんでした。けっこうマシになってきたけど」
自分は、「それほど精神的に強くはない」けれど「負けず嫌いだ」と、彼は自己を分析します。昨年、東京ワールドで銀メダルを獲得して以来、ワールドの金メダルは高橋選手の大きな目標でした。今回、彼はそれを逸しました。でも、つぎの季節はやってきます。それからもちろん、もっと大きな目標も。あります。
「僕の長期目標は、バンクーバーオリンピックで金メダルを獲得することです」
ワールドの直後、高橋選手はいくつかアイスショーに出演し、ジャパンオープンにも出場する予定です。そののち、来シーズン用プログラムをまとめる仕事にとりかかるまえに、日本で休暇をとることになっています。彼は休暇を楽しみにしています。
人のいない離れ小島かなにかに行ったら? とたずねたら、彼は笑いました。
「いまの状況を、もっと強くなるために使いたいから、逃げたくないんです。なにも成功しないかもしれないけど、とにかく挑戦します」
彼はファインティングスピリッツに忠実です。彼には冒険に出る準備ができています。そして、失敗をけして恐れてはいません。
はい、ここまでです。お疲れさまでした!
大学の卒業式にはイエテボリワールドのために出席できなかった高橋選手、ひとりだけのために大学が卒業式をもよおしてくれた、映像を、テレビのニュースで見ました。ひとりぼっち卒業式とは言いながら、かなり職員の方たちもたくさん出席なさっていて、高橋選手、関西大学で大切にされてるなあ、というかんじでしたね。大学のヒーローですもんね。
謹慎中の織田信成選手について、長く沈黙を保ってきた高橋選手ですが「いっしょにバンクーバーに行きたい」という発言もあり。この言葉が織田選手に伝わるといいなあ、と、しみじみ思いました。
ほぼ確実とみなされていた金メダル獲得が、ならなかった高橋選手に「バカンス中は離れ小島にでもいっちゃったら?」という記者の方の問いかけは、「世間がうるさいでしょ。しばらく逃げちゃえ」みたいな意味なのかなあと思ったんですが違うかなあ。そのあとの高橋選手が「いまの状況を強くなるために使いたい」って言ってるので、たぶんそういう意味だと思うんですけど自信ない…。
革新的で、歴史に残るとまで言われた「ヒップホップ」のシーズンを越えて、来シーズンの高橋選手の冒険が、いまから楽しみです。
単純に、クワド3回、とかではなくて、絶対なにか面白いことをやってくれそう。ニコライ・モロゾフ&高橋大輔師弟コンビには、そう思わせられるなにかがありますよね。
とはいえ、日本に帰ってから、倉敷のリンク存続嘆願アイスショーにも出演してた高橋大輔選手。ほかにもいくつかアイスショーに出て、ジャパンオープン出場ですか。シーズンオフとは思えないハードスケジュールですね。もうさんざん身体を酷使してますから、怪我しないように、とにかく労わりながらやって欲しいです。ほかの選手たちも、もちろんね。
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