さて、イエテボリワールドのアイスダンス感想を書こうかと思ったんだけど、ちょっと感想を書くのにも飽きたので(ははは)、久々に海外ネタでも。
FSUで、『Trinity』さんという方が、アレクセイ・ミーシンコーチの有志翻訳記事を挙げてくださっています。
有志翻訳はこちら→ http://www.fsuniverse.net/forum/showthread.php?t=57649
元記事はこちら→ http://www.trud.ru/issue/article.php?id=200803135441501
今日は、こちらの有志翻訳版をもとに、いちおう元記事も見ながら、内容を日本語に書き取ろうと思います。
さて、いつものいいわけです。灰原は英語力がなく、書き取りは機械翻訳頼りですので、これからお目にかける文章には間違いがあるかもしれません。わからない部分を想像で補っていたり、ダイジェストしたりもしています。よろしければ、元記事もご覧くださると、うれしいです。
それでは本文にどうぞ。




【アレクセイ・ミーシンコーチインタビュー】



アレクセイ・ミーシン氏は、ロシアでもっとも有名なスケーターを育て上げた人です。彼は、人生の15年を、エフゲニー・プルシェンコ選手に捧げてきました。実の子たちよりもジェーニャと多くの時間を過ごしてきたと、ミーシン氏は冗談にいうことがあります。アレクセイ・ミーシンは、『Trud-7』のイリーナ・アントノワの独占インタビューを受けました。


インタビュアー:
先日、プルシェンコ選手が練習に真剣に打ち込んでいないと、憂慮しておられましたね。


ミーシンコーチ:
ええ。言わなければならないことは言わねば。ジェーニャは来季競技復帰する準備を進めていますが、彼の練習態度はいまのところ、はなはだ試み的です。私たちは、どんなやり方が彼にとってベストか、つきとめようとしています。彼が、テレビ番組のホスト、ショースケーター、さらには、議会議員としての活動と平行して練習しなければならないことを、忘れてはいけません。


インタビュアー:
あなたは、どのプルシェンコ選手をサポートしているとお考えですか? ナショナルチームの選手としての彼か、あるいはショースケーターとしての彼か。


ミーシンコーチ:
オリンピックのあと、ジェーニャはもてはやされ、マスコミに露出するようになりました。ときどき「僕がボスで、あなたは言うことを聞けばいいんだ」というような態度をとるようにもなりました。ですが、競技者としての彼は、まだ私の管理下にあります。多くのコーチは、選手の「オーナー(所有者)」です。私はコーチ以外のなにものでもありません。


インタビュアー:
あなたはジェーニャの生涯にとって、どんな役割だとお考えですか?


ミーシンコーチ:
ボルゴグラードという小さな町からサンクトペテルブルクに、スケートの才能ひとつ頼りに送り込まれてきた人生の序盤で、私は、彼の年上の友人であり、万能の父でもありました。いま、彼は大人になりましたが、いまだに私のアドバイスをもとめます。しかし「おまえは市会議員であるべきではない。ショーで滑るのはやめたほうがいい。それはおまえの人生ではない」などとは、私はけして彼には言いません。
ジェーニャには、ユニークな野望があります。市会議員として彼がはじめに取り組んだ政策は、年金問題とスポーツ学校の復興でした。長らくスポーツにかかわってきた者として、私は、彼のスポーツ学校計画を支持します。現在の環境は充分ではありません。
彼の試みは次代の子どもたちのためになるでしょう。


インタビュアー:
現在、ほかに、どんな選手をコーチしていますか?


ミーシンコーチ:
『私は』……といっても、私ひとりではなく、妻のタチアナとのふたりの仕事を意味します。彼女はかつて、ロシアナショナルチャンピオンに輝いた女子スケーターであり、コーチとしても活躍しました。私たちはともに、2014年ソチ五輪プロジェクトに取り組んでいます。私たちの手元には、10歳から12歳の子どもたちの大きなグループがあります。


インタビュアー:
あなたは、ジェーニャもソチ五輪に参加すると思いますか?


ミーシンコーチ:
私は、自分で責任が持てる言葉しか言わないことを信条にしています。私がいまジェーニャについて理解していることは、もういちど競技復帰する計画がまだあるということだけです。


インタビュアー:
けれど、彼は真剣に練習に取り組むことができないでいる。それが必要なものであるというのに。


ミーシンコーチ:
彼は目いっぱいなのですよ。なかなか練習のための時間がとれません。夏に出演予定になっているアイスショーを、彼は辞退できない。誰が興行主に違約金を払うのですか。
私のもとにはしばしば、マスコミやビジネスマンたちからの連絡が入ります。「ジェーニャ・プルシェンコに、ちょっとそのへんを歩き回って、そのへんの人たちと話をさせてください。それで、ギャラを支払いますよ」。ジェーニャは大家族を養いつづけなければならないのですよ。
そして、私たちは現在競技復帰のための準備をはじめています。競技のためには、多額の費用がコスチュームや振り付けのためにかかります。


インタビュアー:
あなたはスケーターと契約しているのですか?


ミーシンコーチ:
リョーシャ・ウルマノフ、リョーシャ・ヤグディン、そして、ジェーニャ・プルシェンコ。財政的にゆたかになった彼らの誰とも、私は、どんな契約もしていません。いかさまな手口で彼らから1ルーブルたりとちょろまかしたりなどはしていません。
彼らが誰と友人となり、誰と抱き合い、誰とキスするかは個人的な問題で、コーチが踏み入るところではありません。干渉すれば、コーチは弟子の敵になってしまうんですよ。


インタビュアー:
ですが、あなたはジェーニャの結婚に反対していました……


ミーシンコーチ:
たしかに、私はジェーニャの結婚を歓迎しませんでした。
ジェーニャから電話がかかってきたあの日、ちょうど私は運転中でした。ジェーニャは私が、座っているか、立っているかと訊きました。私は、運転しているとこたえました。ジェーニャは私に、車を止めてくれと頼みました。私が停車したあと、彼は私に、結婚したんだ、と、告げました。
あなたもご存知でしょうが、ときどき、人生には避けがたい運命に屈服し、従わなければならない状況が訪れます。私たちは妥協点を見つけなければなりませんでした。
私が彼の妻と暖かい関係を築いたとはいえません。しかし、私たちは敵同士ではありませんでした。


インタビュアー:
彼女がたくみに彼を操ったのでしょうか。


ミーシンコーチ:
私は、結婚して競技に利益を得たアスリートを見たことがありません。


インタビュアー:
ジェーニャは思春期をどんなふうに過ごしたのですか。


ミーシンコーチ:
男の子が大人になるのは難しいものです。そう、体の面でも、心の面でも。ジェーニャが成長期に入った最初のころは、さほどの問題は起こりませんでした。たしかに、明らかに落ち着きがなくなりましたけど、自分の息子がその年齢のころも、たいがい落ち着きなく過ごしていましたしね。
心の面では、彼の母親がよくやってくれたと言わなければなりません。家族が分かたれる状況というのは非常に難しいものです。母親はサンクトペテルブルグに出てきていました。彼の父親は大工で、別の町で非常に控えめに、小さな住まいを借りて生活していました。
ジェーニャの進化が始まったのは、はじめて競技で賞金を獲得したときでした。


インタビュアー:
最初の賞金について、彼はどんな反応を見せたのですか。


ミーシンコーチ:
面白い反応でしたよ。最初に、彼は、自分のためにお金を使いました。指輪にネックレスにブレスレットなんかを買ってね。つぎに、母親と姉妹と、父親のためになにかしようとしはじめました。彼は、私にもプレゼントをくれましたよ。ほかにも、同じチームの友だちにスニーカーを贈ったりしていましたね。彼は、お金の居場所を見つけようとしていたのです。
賞金によって、彼の家族と友人のためになにかができると思った瞬間に、彼は満足しました。若干の困難はありましたが、早々に乗り越えて、ジェーニャはできるだけ早く大人になろうとしました。
うんと幼かったころ、彼は、つぎの練習グループの女の子に近づいて「ためしにキスしてみようよ」と言ったことがあります。もっと大人になったとき、彼はつねにひとりの女の子を選び出して、彼女に献身し、彼女を養おうとしました。子どものころからずっと、非常に結婚願望が激しかったのです。彼はあらゆるガールフレンドのことを、妻とみなしていたと思います。


インタビュアー:
彼は、すべてのものごとにたいして真剣なのでしょうか。


ミーシンコーチ:
ええ。アパートを選ぶなら、それが最高の条件のものでなければならないし、プログラムを滑るなら、それは素晴らしくなければなりません。そして、彼は家族と子どものことをつねに考えていました。彼の意見と哲学は、ずっと、実年齢より10歳ばかり大人びていたんです。


インタビュアー:
ジェーニャとヤグディンとのあいだには、どのていどのライバル心があったのですか。


ミーシンコーチ:
ライバル関係によって、ふたりとも、強さが自分を推し進めると悟ったと思います。人に先んじようと考えなければ、高みにはたどり着けないのですよ。ほかの多くの人のようにね。


インタビュアー:
故意に彼らを対立させたのですか。


ミーシンコーチ:
いいえ。それは自然に起こったことです。
当時、私の手元には、世界チャンピオンを争うことのできる一群の生徒たちがいました。はじめは、ジェーニャは、グループレッスンで見始めました。そこから、彼は、弟子の中で3番めの地位につけ、やがて2番めに、そしてトップ、やがては、ただひとりの弟子となりました。私は彼とともに過ごしました。
ジェーニャのコーチであることは、大きな責任をともないました。前人未到のレベルに達したスケーターに、正しいアドバイスを与え続けなければなりません。しかし、こちらも神ならぬ身、ミスが発生することもありえます。
ただ、どんな意気消沈した瞬間であっても、彼は、自身の素晴らしい強さと才能に疑問を持つことはありませんでした。私もまた、もしチャンピオンであると感じられないならば、チャンピオンにはなりえない、と言いつづけてきました。そして、私はおまえがチャンピオンだと知っている、とも。


インタビュアー:
25歳という年齢は、スケートをするには年を取りすぎているのでしょうか。


ミーシンコーチ:
ええ。たいがいはね。


インタビュアー:
あとどれくらい、ジェーニャはスケートを続けるでしょうか。


ミーシンコーチ:
ジェーニャは、じき、26歳です。彼はまだ老いてはいません。私は、彼なら、あと5年は滑ることができると考えています。それは、生活のすべてをスケート中心にするということを意味します。
先日ですが、私は、アスリートが酔っ払っているところを見ましたが……


インタビュアー:
ジェーニャは酒を飲みませんよね。


ミーシンコーチ:
いえ、少しはたしなみますよ。けれど、オリンピックにそなえてトレーニングしていたとき、彼は禁酒を宣言して、それを守りました。


インタビュアー:
スケーターとして生きるということは、さまざまな禁止による複雑なダイエットに取り組むことと似ているようですが。


ミーシンコーチ:
そのとおりです。その道を選ぶなら、あなたは食べ過ぎることはできず、飲みすぎることもできず、だらだら過ごすこともできず、それほど眠ることさえできない。そして、たいへん激しく動かなければなりません。歯を食いしばって、前進し続けなければならないのですよ。




はい、書き取り終了です。お疲れさまでした。
なんかミーシンコーチのインタビュー読むの久々だなあ。ミーシンコーチのインタビューにしては、若干ハートウォーミング度が高いのは、プルシェンコ選手の子ども時代という、懐かしい、黄金の日々について語っているからかもしれませんね。最近は、ミーシンコーチのインタビューというと、新採点方式への苦言であるとか、どうしても厳しい内容になりがちではあったので。
復帰を決めたプルシェンコ選手ですが、さまざまにしがらみあり、なかなか思うように練習に入れないでいるようです。灰原はプルシェンコ選手がサンクトペテルブルク市会議員に出馬するかも、というところまで知っていて、あとの情報を知らなかったんだけど、あれ、出馬して当選していたんですね。それでショーツアーの主催もやってたんだ。何足のわらじも履いている状態だったのね。そりゃ、去年の復帰は難しいよね…。
小さなジェーニャが、賞金に狂喜乱舞して、自分のものを買い、やがて、身近な人たちにプレゼントしまくっていた光景を思い浮かべると、ほほえましいのと同時、ちょっと泣けます。お金があれば、大好きな人たちを幸せにできる、という考えは、素敵かなとも思うんですけど、いま、たくさんお金が必要で、そのために無茶なスケジュールを組まなければならない現状は、お金がなければ、大好きな人たちを不幸にしてしまう、という気持ちの現われにも思えたりします。たしかに、大家族を養い、子どもの養育費を送金するのはたいへんだと思うんですけど、ジェーニャはジェーニャであるだけで、ちゃんと愛されてると思うんですよ。お金がなくても。ちょっと皮肉屋だけど、茶目っ気のある人だしね。それが本人にもわかってるといいなーと思いました。おばちゃんの余計な考えですみません。
子どものころから、やたら結婚願望が激しかったというのは、以前、ご本人のインタビューでも読んだことがあるんですが、10代のころから女の子を養おうとしてたって、なんか相当ですね。うーむ、なつかしい言葉だけど「ミツグくん」タイプだったのかなあ。先日、離婚も正式に成立したそうですし、プルシェンコ選手をよく理解してくれる、いい人と巡りあえるといいですね。
選手を管理するのが自分の仕事であり、自分はコーチ以外のなにものでもありえないと誇らかに語る、アレクセイ・ミーシンコーチ。いま、手元にいる生徒さんたちも、やがて世界に羽ばたいていくんでしょう。いままで、アレクセイ・ウルマノフ選手や、アレクセイ・ヤグディン選手を手がけ、ステファン・ランビエール選手やサラ・マイヤー選手、カロリーナ・コストネル選手や、最近では、キーラ・コルピ選手なども、スポットでコーチングを受けるなど、世界的な名声を持っているミーシンコーチですが、その彼にとっても、エフゲニー・プルシェンコ選手は、やっぱり特別なんだなと。改めてわかるインタビューでした。
ジェーニャと過ごした15年。
願わくは、ミーシンコーチとプルシェンコ選手のよい関係が、今後も続きますように。そして、いつかまたキス&クライで、門下の選手の勝利を確信したミーシンコーチの、「してやったり」と満足そうな顔が見られますように。極東からお祈りしております。




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