ケリガン殴打事件が起きたのは、いまから、もう、10年以上もむかしの話になるのですね。
1994年、リレハンメル五輪代表選抜の場でもあった、全米選手権。アルベールビル五輪銅メダリストであり、優勝候補のひとりだったナンシー・ケリガン選手が、会期中の1月6日、膝を殴打されて怪我をおい、欠場するという事件が発生します。捜査の結果、ケリガン選手のライバルであり、1991年世界選手権銀メダリスト、ケリガン選手の欠場した1994年全米で優勝を飾った、トーニャ・ハーディング選手が、事件を教唆したのではないか、という可能性が浮上してきたのでした。
ハーディング選手は疑惑を否定、リレハンメル五輪に出場します。ケリガンvsハーディングの争いは国外でも大きく報道され、競技そのものよりも注目されますが、結局、リレハンメルで栄冠を得たのは、10歳なるならずで両親を失ったあと、そのフィギュアスケートの才能をコーチに見出されて育てられた孤独なウクライナの天才美少女、オクサナ・バイウル選手だったのでした(バイウル選手を見出し、文字通り育てあげたのが、現在ジョニー・ウィアー選手が師事しているガリーナ・ズミエフスカヤコーチです)。
リレハンメル後、ハーディング選手は司法取引をして裁判を免れます。司法取引というのは、日本にはないシステムなんでわかりにくいんですけども、罪を認め、調査に協力することで、懲罰の減免をうける制度だそうです。
現在のアメリカでのスケート人気の冷え込みは、ケリガン殴打事件によるフィギュアスケートのイメージダウンに端を発するのではないか、と言われています。
現在、ナンシー・ケリガンさんは、フィギュアスケート解説で活躍。アイスネットワークの大会ウェブ中継の解説もつとめてらっしゃいますし、オクサナ・バイウルさんも、いろいろありましたが、ショースケーターとして活躍されています。
一方で、トーニャ・ハーディング選手は…。
女子フィギュアスケートに著しい人気があり、メディアでも頻々と取り上げられ、ビッグマネーを産んでいた当時のアメリカで起きた、この事件。
最近、現在のハーディングさんに取材した、長いarticleが発表されました。
こちら→ http://www.chicagotribune.com/sports/chi-26tonyadec26,1,7540021.story?ctrack=5&cset=true
記事タイトルは『Her past is her lifeblood』。日本語にすると、『過去は己が血にまみれ』とかかなあ。
今日は、こちらの記事を、ダイジェストして日本語に書き取りしてみたいと思います。
いつも言い訳していますが、灰原には英語力が無きに等しく、これからお目にかける文章は、翻訳というほどの精度があるものではなく、機械翻訳を日本語らしく整えただけのものです。わからないところは想像で補っている部分がありますし、読み取り間違いもありえます。わからない箇所などダイジェストもしてしまいますので、よろしければ、原文もお読みいただけるとうれしいです。
それでは、本文にお進みください。




【過去は己が血にまみれ】


カンザスシティ。
金曜日の午後10時過ぎ。きりもなくオーダーされ、供される、1000杯を超えるビール。6種混合格闘戦が戦われているこの場所は、男性ホルモンに満ち満ちている。
明らかに2時間は飲んだくれていたひとりの男が、メインイベントの勝者にあからさまな野次を飛ばす。つぎの瞬間、折りたたみテーブルがひっくり返され、パイプ椅子が空を舞う。
酔いどれは逃げまどうが、刺青をしたファイターほどには俊敏ではない。
乱れ飛ぶ2、3のパイプ椅子が落ちてくる、その間近で、金髪の元フィギュアスケーターが、その夜、31番目と32番目の顧客の撮影のため、ポーズをとっていた。
彼女は乱闘を察して、すばやく逃げ去った。
「わたし、暴力は嫌いなの」
と、トーニャ・ハーディングは言う。
「こう言うとみんな笑うけど。でも本当よ」
国軍兵器廠を擁し、リングアナウンサーが『二重の名を持つ選ばれた都市』とうたいあげる街、カンザス州カンザスシティ。ハーディングはそこにいる。催されている、低レベルの格闘興行の添え物として、やってくる顧客たちにサインを売って、10ドルを受け取っている。もし依頼人が彼女といっしょに自前のカメラに収まることを望むならば、5ドルの受け取りになる。相手の名前のつづり間違いには気をつけなければならない。
ハーディングは120ポンドのでっぷりした身体に、『The Game of Redneck Life』と書かれた黒いTシャツ、それにピッタリしたジーンズをはいている。
それは、ほんの以前に感じられるが、もはや14年もまえの物語だ。ハーディングの元夫と、元ボディガードが、当時の彼女のライバル、ナンシー・ケリガン選手の襲撃を計画した。
実行犯のひとりだったボディガードが、2週間まえ、オレゴンで死んだ。
ハーディングは、自分は計画についてなにも知らなかったが、捜査を妨げることを憂いて、司法取引に応じたと主張する。取引の結果、彼女は160,000ドルの罰金の支払い義務を負い、米国フィギュアスケート界から永久に追われた。
時代を象る歌い手は、ブライアン・アダムスからマイケル・ブーブレに変わり、ブッシュは2代目に変わった。
あのころと同じように金色の髪をパーマさせた彼女は、いま、37歳になる。しかし『ケリガン殴打』スキャンダルによって滅多打ちにされたあの瞬間から、彼女の時は流れていない。彼女は言う。
「わたしは最高のスケーターだったわ」
ハーディングの語りは哀れっぽく、苛立たしい。聞き手は憐憫の情と皮肉な思いに駆られる。
ハーディングは、いまだに彼女の名前は事件を連想させるため、通常の仕事につけないと語る。そして、自身の名前の使用料として、数百ドルを受け取ろうとする。
彼女は、いまもスケートをしている。
「わたしは、世界でいちばん偉大なフィギュアスケーターだったわ。1991年には、誰もわたしにかなわなかった。誰もわたしに届かなかった」
1991年、ハーディングはアメリカの女子選手としてははじめてトリプルアクセルを競技会で降り、全米選手権チャンピオンとなった。彼女に続くトリプルアクセラーの出現まで、アメリカは14年待たなければならない。
ハーディングのいままでの人生には、飲酒運転、そして恋人への暴力が原因の逮捕歴が含まれている。未許可の画像をポルノ雑誌に掲載されたこともあった。
彼女の顔をコラージュしたポルノイメージが販売されたこともあると彼女は主張する。そういったことどもが、彼女を病気に追い込んだのだと。
いま、ハーディングは、場末のカーニバルの添え物となって、収入を得ている。自分の収入がまったくクリーンなことを、彼女は誇る。いつも抜け目なく、光沢紙に印画された彼女自身のポートレイトとともに旅する。いつなんどき、ちょっとした10ドルを持った顧客があらわれ、彼女のサインをもとめるか、わからないからである。
カンザスシティでの興行のまえの晩、ハーディングは夕食と食後のビールのために、メキシカンダイナーにいった。
店に客は多くはなかったが、そこで彼女は9枚のポートレイトを売った。90ドルの報酬。そして、格闘興行の見物人500人のうち、老若男女、だいたい36人がハーディングのサインか写真を買った。家に飾るために、あるいは、面白い贈り物として。
ハーディングは、フルタイムのフィギュアスケートコーチになりたいという。しかし援助者は見つからないし、過去の汚名にいまだに追い詰めらるために、それはかなわないのだという。
ハーディングはここ数年、母親と話をしていない。今後会う予定もない。父親とは若干のつながりがある。両親については、もっと自主性と自尊心をもてるように育ててくれなかったことが、若干の心残りだという。
「とにかく、生き延びなきゃいけない。みんなに好かれてるかどうかなんて、重要じゃないわ。みんなは、わたしを嫌ってて、わたしが蹴られたりひどい目にあうところを見たいのかもしれない。でもね結局わたしを見るために、お金を払うのよ」
好奇心は大衆をひきつける。
ひとりの酔いどれがハーディングに近づいて、訊ねる。
「それで、あの子をやっつけるために、大金を払ったのかい」
自分は彼女を襲っていない、とハーディングはこたえる。
「ナンシーとは友だちだったわ」
ハーディングはいまだ大衆の好奇心をひきつける。
トーニャ・ハーディングは、1500万人が視聴するゲームショーネットワークの人気番組『セレブリティ・ボクシング』において、ビル・クリントンをセクシャルハラスメントで提訴したポーラ・ジョーンズと、試合興行を行った。そしてもうじき、「トーニャとナンシー」と題されたロックオペラが、ハーディングの故郷、オレゴン州ポートランドで幕をあける。舞台にたずさわったエリザベス・サールは語る。
「たくさんの人たちが、この物語について、話をしたがっています。そこに、とてもアメリカ的な人生が描かれているから。私たちの生きる、とてつもなく競争的な小宇宙には、暗く滑稽で、人を凶暴に陥れる力がうごめいているんです」
サールは、個人的に自分はハーディングに同情を感じており、ハーディングを援助したいと語っている。しかしハーディングは、サールのことを、彼女の名前から搾取する悪臭を放つ連中のひとりであると見なす。
どこの誰が、麻薬でふらふらになっていたハーディングを、定職に雇うことができたろう?
ハーディングは、彼女のなすべきことをし続ける。つまり、低レベルの格闘興行の添え物。たまにリングに上ることもある。
いまのようなことをなにひとつする必要のない人生を、ハーディングは夢見る。だが、彼女自身の振る舞い、そして、私たちの社会の、有名人にたいする歪んだ容赦ない習性によって、いまいる場所で生きるよりない。
ハーディングのまなざしは、1994年リレハンメルオリンピックを、いまなお見つめ続けている。
彼女は言う。
「わたしを信じて」




記事終了です。お疲れさまでした。
いつも書き取りをしている選手インタビューなどと異なり、この記事を読んで、日本語にしていくことは、少し気が重い作業でした。
ケリガン殴打事件については、もう司法の決着はついていますし、ほんとうの『真実』はどこにあるか、ということについては、灰原の理解の及ぶ範囲のことではありません。
それなのになぜ、この記事に取り組もうと思ったかといえば、記事の最終盤に出てくるパラグラフ


She wishes she didn't have to do any of it, but this is where she is now, both because of her own actions and the strange and unrelenting way we treat celebrities.


のためです。
我々の社会の、有名人にたいする歪んだ容赦ない習性。
きのうも書きましたが、アメリカ社会は、スポーツヒーローにたいして、スーパーマンを期待する雰囲気があると思います。品行方正、頭脳明晰、ボランティアなど慈善活動にも熱心、非の打ち所のない、完璧な存在であって欲しいと望むのです。
最近は、日本でも、アスリートを理想化しようとする動きがあるよーにも思います。
……望みすぎじゃない?
と、灰原はつねづね、思っていました。もちろんアスリート本人が、社会の規範たろうと志すのは美しいのですが、社会がそれを求めるってどうなんだろう。頑張ったことで、勝利とともに社会的評価を得たアスリートが、それゆえに、完全無欠の優等生であるべきプレッシャーをも抱え込む結果になるって、なんだか理不尽なよーな。
有名人の中でも、とくにアスリートにたいして、世間の風は厳しいように思うんですよねー。
スケーターに限らず、それぞれに分野でトップに上り詰めるほどのアスリートであれば、生来の才能だけでなく、才能を生かすための努力をも重ねてきたはずです。うちで寝っころがってテレビ観戦している灰原とは根性の根本からして違うわけです。選手の成果を楽しませてもらうファンとして、灰原、それだけは忘れたくないなあ。
まあ、ハーディングさんについては、殴打事件のことは置いといて、そのあとに逮捕歴もあるなど、本人の行動にまったく問題はない、とはちょっと言えないようにも、記事を読む限りでは、思えるんですが…。
世界で2番めにトリプルアクセルを降りた人。ハーディングさんがスケート界を去ったあと、2002年、中野友加里選手がスケアメで成功するまで、女子選手のトリプルアクセル成功者はいませんでした。参考記録として、全米選手権でのキミー・マイズナー選手の成功例はありますが、ISU認定の国際大会での3A成功者としては、トーニャ・ハーディングさんは、いま現在、日本人以外のただひとりの選手です。
ケリガン殴打事件で運命が狂ったひとりに、ミシェル・クワン選手がいます。
リレハンメル五輪にアメリカ女子シングル枠は、2枠しかありませんでした。選考の全米選手権、2位に入った13歳のミシェル・クワン選手は、事件で出場辞退したケリガン選手が特例として代表に選出されたために、補欠に回ります。その11年後、故障で全米選手権を欠場したクワン選手を、全米スケ連は、特例として代表に選出しますが、リレハンメルのときのことがあったからかなー、と、灰原はちょっと思ったりもしたのでした。
結果的に、クワン選手はトリノに出場叶わず。補欠のエミリー・ヒューズ選手が出場することになったんですけど。
ただ、選手個人の晴れ舞台というだけではない、たくさんの人の思いが集中する場としてのオリンピック、オリンピックのメダルが持つ魔力について、そして、世間がアスリートに求めるイメージについてなども、つくづく考えさせられる記事でした。
うーん、灰原がこんなとこで叫んでもしかたないのかもしれないけど……アスリートたちには、幸せになって欲しいよー!!!





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