icenetwork.comで、ブライアン・ジュベール選手の最新インタビューが掲載されていました。
エリック棄権のあと、ここまでまとまったインタビューが出るのは初めてじゃないかなあ。ヨロ戦に向けて、調子はどうなのか、気になります。
宿題は他に山積みあれど、ちょっと押しのけてですね、今日はこの、ジュベール選手のインタビューを、抜粋して(かなり長いんです)、日本語に書き取ってみようと思います。
元記事はこちらです→ http://web.icenetwork.com/news/article.jsp?ymd=20071224&content_id=39923&vkey=ice_news
さて、いつもの言い訳。灰原は英語力に乏しく、これからお目にかける日本語書き取りも、機械翻訳を読みやすく言葉を整えたくらいのもので、翻訳と呼べるほどのものではありません。読み取り間違いもありえますし、わからないところは想像の翼で補ってしまったり、さらにわからないと、飛ばしてしまうこともあります。よろしければ、原文もご覧いただけるとうれしいです。
それでは、本文にどうぞ。



【icenetwork.com:ブライアン・ジュベール選手 Q&A】


ブライアン・ジュベール選手は、昨シーズン、新採点法になってはじめて、1つのプログラムで3つのクワドを跳んだ選手として、歴史に名を残しました。
12月のはじめ、過労によって体調を崩してから、ジュベール選手はなんとか復活し、フランス国内選手権に出場、6連覇を飾ることができました。彼自身が8度のフランスナショナルチャンピオンであったジュベール選手のコーチ、ジャン・クリストフ・シモンズ氏は、彼の教え子を誇ります。
シモンズコーチと組むようになったから、ジュベール選手は、出場した大会で、負けナシの10連続金メダルを獲得しています。シモンズ氏は言います。「私たちは必死で訓練に励み、とにかく技術を極めようとしています。技術的に安定していれば、ブライアンは自分に自信を保つことができ、結果的に最高の演技をすることができるからです」


インタビュアー:
今シーズン、フランスナショナルで、ヤニック・ポンセロ選手は、あなたにとってかなり手ごわい挑戦者となりました。ポンセロ選手は、現在、安定した3Aとクワドを跳んでいます。


ジュベール選手:
ええ。それに加えて、アルバン・プレオベールも手ごわかったですよ。アルバンと僕は、長年の友だちなんです。10歳のころからおんなじ大会に出てますからね。ポンセロは、テクニック的に、それから表現力も、すごくいいものもってます。とくにスピンとフットワークがいいですね。
ポンセロの唯一の弱点はメンタルです。競技会を重ねるあいだに、集中して課題に取り組めてたと思いますけど、僕はポンセロのこと、もっと手助けしたいと思うんですよ。休み明けには、また会う機会があると思うんで、いくつかアドバイスをするつもりです。


インタビュアー:
どんなアドバイスしようと?


ジュベール選手:
僕が思うに、ポンセロにはチャンピオンスケーターになる才能があると思うんですよ。わかんないのは、本人が、それを望んでるのかってことです。彼の将来の夢は、理学療法士になることなんでね。
今年のフランスナショナルは、たくさんの人の注目を集めました。スケーターたち、マスメディア、そしてファンのみなさんのね。競技会のレベルは激しく高くて、ほとんどの選手はクリーンに演じきりました。
シニアでもジュニアでも、シーズンベストの演技がたくさん見られました。


インタビュアー:
スケートカナダで、あなたは素晴らしいSPを演じました。FSではクワドで転倒があり、ケヴィン・バンデルペレン選手に1位を許しましたが、総合では優勝を飾りました。しかしそのあとのエリック・ボンパールは、棄権しなければなりませんでした。そしてGPF進出は絶望的になりました。いつ、あなたは自分の健康が損なわれていると気づきましたか?


ジュベール選手:
スケートカナダの2~3日まえには、僕は非常な倦怠感を感じはじめました。はじめは、筋肉が固まっていると感じて、疲れてるせいかなと思ったんです。そうこうするうち、氷に乗って20分も練習しないうちに、疲れきってしまうようになりました。大会出場をどうしようか、判断は難しかったけど、結局スケートカナダは出場をコーチが決断しました。もちろん、あまりに僕の具合が悪いときは、コーチは僕の練習を止めますよ。
僕の今年のSPは新しいもので、お客さんとジャッジの反応を僕は知りたかったんです。僕はSPをおおむねクリーンに滑りきり、お客さんは喝采で受け入れてくれました。カナダのお客さんはフィギュアスケートに詳しいので、彼らのその反応は素晴らしい参考になりました。


インタビュアー:
フランスに帰国後、どうなったのですか?


ジュベール選手:
僕の体調は、もっとずっと悪くなっていきました。エリックに備えるために、練習に取り組もうとするんだけど、5分と滑ってられなくなったんです。とにかく筋肉が痛くて。集中することもできませんでした。僕は世界選手権のまえにかかっていた医師のもとに治療に出かけました。ええ、ブレードで足を切ったときの、手術を担当してくれた人です。診察を受けてみると、まず、僕の血圧は異常に低くて、心拍数が高かった。そして、不調は、筋肉が風邪のウィルスに侵されているせいだとわかったんです。
僕に許された唯一の選択肢は静養でした。回復には3週間かかりました。運がいいことに、フランスナショナルの直前に、僕はふたたび健康を取り戻しました。


インタビュアー:
試合で競うライバルの演技を、あなたは見るほうですか?


ジュベール選手:
場合によりますね。ライバル選手の演技始めのエレメンツをいくつか、見ることはあります。たとえばエフゲニー・プルシェンコ選手と競っていたときは、彼のプログラムの最初の2つのジャンプを見ていました。


インタビュアー:
なぜ最初の2つだけ、エレメンツを見るのですか?


ジュベール選手:
そこで転倒があれば、精神的に少しは楽になりますし、逆に、エレメンツがクリーンに決まるようなら、自分の演技のレベルを上げようと、モチベーションが高まりますし、どっちにしても、自分にプラスですから。


インタビュアー:
カート・ブラウニングさんと組むことになったいきさつを教えてください。


ジュベール選手:
スケート界で育ってきたのに、いままで、僕はカート・ブラウニングさんと会う機会があんまりなかったんですよ。ライブでスケートをしたところも見たことがないし、テレビで演技を見たこともあまりなかったんです。それでも、いろんな人が、ブラウニングさんを「世界最高のスケーターだ」って教えてくれて、僕はずいぶん彼のことを知っていました。彼は、世界ではじめて、クワドを競技会で降りた人物です。クワドは僕にとって、大きな意味を持つものです。
2006年のカルガリーワールドを2位で終わったあと、僕は彼と電話で話す機会を得ました。僕は非常にナーバスになってました。けれど、ブラウニングさんはとても気さくに、自然に接してくれました。僕は彼と組みたくなりました。
それで、その夏、僕はカナダのトロントに向かいました。
そのとき僕にはコーチがいなくなってて、ひとりぼっちでした。僕は、滑ってみたい曲のいくつかを持っていきました。ブラウニングさんもその曲を気に入ってくれました。
ふたりで初めて氷の上に立ったとき、ブラウニングさんはこう言いました。
「いいかい、僕らは働くためにここにいるんじゃない。遊ぶためにいるんだよ」
そのとき作られたのが、2006年~2007年のあいだ、僕をずっと勝たせてくれたフリープログラムです。


インタビュアー:
どんなカタチでカート・ブラウニングさんの影響を受けられたのでしょうか。


ジュベール選手:
僕は、カート・ブラウニングさんに好まれるだろう雰囲気に、自分のスタイルを変えようとしたんですよ。でも、彼は、すばやい変わり身なんか望んでなかったんです。
「君はいったい誰なんだい? 焦らなくても、僕らは2010年のオリンピックに向かって鍛えようとしているんだよ」
僕は、教えられたことをどんどん吸収したので、ブラウニングさんは驚いて、喜んでくれました。彼と練習すると、限界をどんどん超えていけるんです。それはすごくうれしいことで、もっと懸命に練習したくなります。
ブラウニングさんに出会うまえ、僕にとってスケートとはジャンプでした。でも、彼は僕に、滑りを楽しむ方法を教えてくれました。
練習を見てもらいはじめたばかりのとき、ブラウニングさんは僕に言いました。「君はあまりにスピードが遅い」。僕は落胆しました。いままでは、フットワークを褒められたことしかなかったんですよ。
僕がエッジを直して、より楽にステップを踏めるように、トレーニング方法を、それからうまい体の使い方を、ブラウニングさんは伝授してくれました。
昨シーズンが終わったあと、再会したとき、ブラウニングさんは、僕がすごく速くなっていて驚いた、と言ってくれました。
僕は、良質なスケーティングの習得は、スピードが手に入れられるというだけでなく、スタミナを温存しての演技を可能にすると学びました。


インタビュアー:
今シーズンいままで、あなたを驚かせたことはありますか?


ジュベール選手:
大会ごとにトップの入れ替わりが激しかったので、世界選手権は面白い展開になりそうだと思います。
僕は、多くのスケーターが、SPにクワドを組み込んできていないことに失望しています。技術的なレベルは下がってきていると思います。みんなが3+3しか跳ばない傾向は、僕には残念です。でも僕には、クワドなしの世界チャンピオンが誕生するとは思えません。
僕は2002年ソルトレイクの激闘を覚えています。いまとは次元の違う戦いでした。ティモシー・ゲーブル、エフゲニー・プルシェンコ、アレクセイ・ヤグディン、本田武史……彼ら全員が素晴らしいクワドを持っていました。ジャンパーの黄金時代でした。


インタビュアー:
採点システムに問題があるとお考えですか?


ジュベール選手:
いまの採点方法には、改善の余地があると思います。ジャンプはきちんと報われなければなりません。一部のスケーターは、SPではクワドを飛ばず、FSでだけクワドを跳びます。彼らはリスクを冒さず、クリーンなトリプルトリプルを選ぶのです。そのやりかたは、スポーツマンらしくないと思います。
スポーツマンは、人間の肉体の限界を超えるために存在しています。過去の世代は上回らなければなりません。スポーツマンは、安全や安易さを望んではいけないと思います。表彰台への道は、安全でも安易でもないんですから。



はい、書き取り終了です。お疲れさまでした。
記事中、ジュベール選手のプライベートに関するコメントとかは、ダイジェストしちゃいました。可愛がってるペットのわんこ『ブレード』くんの話題も出てきます。よろしければ、原文をお読みくださいね。
それから元記事のおしまいのほうには、ジャン・クリストフ・シモンズコーチのインタビューもちょっとだけついています。こちらの日本語書き取りは、またの機会に。
病気が心配されたジュベール選手ですが、ずいぶん元気になったようで、ひとまず安心しました。ヨーロッパ選手権のころには、万全になっていそうですね?
風邪の菌が筋肉に回ったということですが、稀にそういうことがあるそうで。回復して、ほんとうに良かったですね。そういえば、ランビエール選手も、中国杯直前に風邪で体調を崩したといっていましたっけ。
しかし、フットワークに目覚めたとはいえ、やはり4回転にこだわる、ジュベール選手らしいインタビューでしたね。SPでクワドを跳んでこない選手が多いって、それは誰のことを言いたいのとちょっぴり訊いてみたくなりますが(ははは)。だってランビエール選手やライサチェック選手は、SPでクワド跳んでるもん!
――世界王者に挑発されるとは、日本王者も出世したなあ――とちょっと思いました。
2002年ソルトレイク五輪に、まだ10代だったジュベール選手は、出場しているんですよね。そのとき感じた衝撃が、いまも彼を突き動かしているのかもしれません。史上最高の空中戦時代。ステップやスピンはいまのほうがレベル上がってると思うけど、ジャンプはたしかに当時のほうが上でした。
ところで、やたらポンセロくんの世話を焼きたがるあたり、ジュベール選手ってなんだか兄さん気質ですね。ポンセロ君は、ジュベール選手より2つ年下なんだけど(アルバン君は1歳下)、いまはライバルだと思うんですよね。それもかなり強力な。それでも、アドバイスしたいとか思うんだなあ。ほんと、長男っぽい…っていうか、頑固親父みたいな風情があるよなあ、ジュベール選手。若いのに…。





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