『Golden Skate』のフォーラムに、ロシアで練習中の川口悠子選手のインタビューの有志翻訳版が上がっていました。
元記事はロシア語。翻訳版は英語。灰原、乏しい語学力と自動翻訳を駆使しながら、なんとかこれを、日本語に書き取ってみたいと思います。しかし、なにしろ乏しい語学力なので、間違ってる可能性大です。できたら、原文もご覧くださいね。
もともとは日本人の川口選手のインタビューを、ロシア語→英語→日本語の三角翻訳で解読するのもなんだか面白いなあ。
記事タイトルは『Привыкла, что на меня все кричат』、これ日本語にするの難しいなー。しいていうなら『川口悠子選手の切実な願い』とかでしょうか。違うかなー? 
翻訳記事URLはこちら→ http://www.goldenskate.com/forum/showthread.php?t=17034
(フォーラムは登録制。登録は無料です)
元記事URLはこちら→ http://sportsdaily.ru/issue.aspx/493/13052
それでは日本語書き取りにGO!



『川口悠子選手の切実な願い』


2006/2007シーズン、ロシアフィギュアスケートの成績は非常に低調なものだった。
しかし、未来への一条の光が、日本人とロシア人の組む新しいペア、川口悠子&アレクサンデル・スミルノフ組によってもたらされた。
タマラ・モスカヴィナ氏の門下生である彼らは、2007東京ワールドで、ロシアペアスケーター最高位の9位につけた。
じつは、東京ワールドより先立つ数ヶ月を、川口選手は足にギプスをつけて過ごしていた。しかし、川口悠子選手は、大和魂によって、東京でロシアのために戦った。
サンクトペテルスブルクで、私たちは東京ワールドの記憶について語り合った。


インタビュアー:ロシアのスケート関係者たちは、あなたは東京ワールド出場のための、準備ができないだろうと考えていたそうですね?


川口選手:そうですね、私はじっさい、しばらく練習を休んでいました。スロージャンプに失敗して、ひどく足を痛めてしまったんです。私たちは、代表選考の選から漏れました。
でも、2007年のワールドは日本開催でしたから、どうしても私、出場したかったんです。私はタマラコーチに、なんとか代表に入りたいと話しました。なにかチャンスが残っていないか、教えて欲しいって。
タマラは、東京に行く唯一の方法は、私が痛みに耐えて練習に戻ることだって言いました。私もそうだなと思って、スケートに戻りました。後悔はしていません。


インタビュアー:SPのあと、あなたがたチームは4位でしたね。


川口選手:とても高い順位に入ってしまって、びっくりしました! 私たちのプログラムはほんとうに簡単なものだったし、それに、私が日本の選手として出場していたときには、世界選手権で13位か14位より上の順位には、入ったことなかったんです。
せっかくの高順位をフリーでキープできなかったことは、とても残念です。


インタビュアー:モスカヴィナコーチには、演技のあと、なにか言われましたか?


川口選手:タマラは、9位っていうのは残念な結果だとは言いましたけど、私たちのこと怒ったりはしませんでした。いつもはほんと、キツいんですけどね!
とにかく私、いつもコーチに怒鳴られてばっかりなんです。でも、パートナーのサーシャ・スミルノフのことは、あんまり怒らないんですよ。
タマラ流ってそうなんです。男の子には怒らない。


インタビュアー:それじゃあ、あなたは腹が立つんじゃないんですか?


川口選手:いいえ。怒られるのは慣れてるんです、私。
日本でもずーっとコーチに怒られてばかりだったし、母にもおっきい声でよく怒鳴られてました。私、叱ってもらえないとダメなんです。そうじゃないと、ダラダラして、ちゃんと練習しなくなっちゃうから。


インタビュアー:あなたはもともと、ニコライ・ベリコフコーチのもとでスミルノフ選手と訓練していたはずですが、突然、モスカヴィナコーチのもとに移りました。なにかあったのでしょうか。


川口選手:私たちはほんとうにベリコフコーチが好きでした! でも、私はずっと、モスカヴィナコーチに教えてもらいたかったんです。
ムホルトワ&トランコフ組がコーチを移ることになって、ちょうどモスカヴィナコーチのもとにはスケーターがいなくなりました。このチャンスを逃す手はないと思って、すぐにコーチ変更しました。
それから、いまはもう、あまり会う機会はありませんが、私がロシアに来たばかりのとき、アレクセイ・ティホノフ選手は、とても私を助けてくれました。彼は、ほんとうに上手に日本語を話すんです。ティホノフ選手は以前、長いこと日本代表として、私の友だちとペアを組んで滑っていましたから。


インタビュアー:とてもロシア語がお上手ですが、どこで学ばれたのですか?


川口選手:はじめは英語から勉強しました。母は英語の先生だったんで、ずいぶん助けてもらいました。
ロシア語は。モスカヴィナコーチから手ほどきしてもらって、あとは、独学です。いま、私はペテルスブルクの大学で、国際関係論を学んでいます。ロシア語で全て試験にパスしなきゃいけないんですよ。
私の母は、アイスダンサーの、パホモワ&ゴルシコフ組に恋をして、娘の私がスケーターとして成功する夢を見たんです。母は、無理やり私をリンクに引きずっていきました。
私はスケートが嫌いでした。10歳くらいまで、母は練習に私を引っ張っていかなきゃいけませんでした。私はいっつも練習をサボる理由を考えていて……頭痛いとか、足が痛いとか、宿題が多いとか。言い訳ばっかりしていました。
そのうち、ジャンプができるようになったあたりで、だんだんスケートが好きになりました。いまはもちろん、大好きですよ!


インタビュアー:オリンピックに出場したいですか?


川口選手:スミルノフ選手とオリンピックに出るためには、私は、日本国籍を放棄して、ロシア国籍をとらなきゃいけません。私たちのチームに未来があると信じられたら、国籍変更をしようと思っています。
私の母国は二重国籍を認めていません。ただ、もし、いったんロシア国籍になっても、10年かければ、もとの日本国籍を回復できるそうです。
ロシア国籍になると、実家に帰るために、いちいちビザを取らなきゃいけません。それを考えると、気が重いです。


インタビュアー:日本では、あなたのために特例は認められないんですか?


川口選手:あるていどの特例は可能みたいです。日本では二重国籍が認められていませんけど、たぶん、私は国籍回復のために10年もは待たなくてすむんじゃないかな。5年くらいで、戻れるとは思うんです。


川口悠子選手は、サンクトペテルスブルクのスシバーで出てくる料理は、故郷の料理とは似ても似つかないといいます。
彼女は、ロシアでほんものの日本食を食べたくて、故郷のお母さんから料理を習ったといいます。月にいちど、川口選手の両親は、日本のお茶やお菓子や、日本の食べ物をいっぱいにつめこんだ荷物を、娘のためにロシアに送ってくるのです。



はい、書き取りここまでです! 記事終了! お疲れさまです!
いやあ、なんかすさまじいインタビューですね。とくに冒頭部分……「痛みに耐えてスケートに戻るのが唯一のチャンス」ってあたりで、灰原、ちょっとクラクラきてしまいました。見た目も迫力のタラソワコーチに比べると、タマラ・モスカヴィナコーチって、小柄だし、控えめな印象だけど、やっぱりロシアのコーチですね! 言うことが激しい。
その、激しいモスカヴィナコーチに、くらいついていっている川口選手、やっぱりすごいなあ……。しかし、スミルノフ君のほうがコーチに怒られてないというのは、なんとなく、灰原的には納得しがたかったですが。どっちかっていうと、スミルノフ選手のほうが技術的にまだ荒削りな気がするんだけどなー。
無名だった昨シーズンから一転、「ロシアフィギュアスケート界の一条の光」とまで言われ期待されるペアになった今シーズン。東京ワールドでは怪我で不調だったムホルトワ&トランコフ組も、今シーズンは調子を上げてくると思われますが、国際戦ではもちろん、国内戦でも競り勝って、ヨロ戦やイエテボリワールドにも出場できるといいですよね! 
もしヨロ戦に出られるってことになったら、もしかして、日本人初参戦なんじゃないかな???
ところで、サンクトペテルスブルクのスシバー……日本食とは似ても似つかないそうなんですけど、そこまで言われると、いっそどんなもんだか見てみたいですね。イクラの代わりにキャビア使ってたりするのかな? 

……あれ? けっこうおいしそう?





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