テニス界で、歴史的な動きがありました。
☆時事通信「優勝賞金は男女とも70万ポンド=ウィンブルドンテニス」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070424-00000236-jij-spo
以前、テニスの場合、競技のとりまとめ団体が違う、男子選手をまとめるATPに対して、女子選手をまとめるのはWTAであり、団体ごとにランキングポイントの計算も違うということについて、ブログで書いたことがあります。
そもそも1968年に、4大大会がプロ選手に門戸を開いたところから、現在にいたるプロテニスの歴史は始まります。それ以前は、プロはグランドスラムなど歴史ある大会には出られなかったわけです。
テニスに限らず、プロ選手とアマチュア選手の境目は、いまはあいまいですが、かつては厳然としていました。
わかりやすいところで挙げてみますと、かつてアマチュアはコマーシャルに出られなかった。
企業のパトロン的なスポンサードを受けることはできましたけど、それだけだったわけです。スポンサー企業のテレビコマーシャルに出るとかいうのはNGでした。また、多くのスポーツで、アマチュアにスポーツによる賞金の獲得を禁じていました。賞金を稼ぐために競技に出ることを、スポーツマンシップに反すると考えるむきがあったんですね。
スポーツによる賞金を得るか得ないか、コマーシャル契約をするかしないかがプロアマの分かれ目であるなら、いまの安藤美姫選手や浅田真央選手なんか、かつての基準でいえば確実にプロスケーターです。でも、彼女らはアマチュアということになっています。スケートの場合は、ISU主宰の「アマチュア競技会」に出場する選手のことをアマチュアとみなし、競技会に出ず、アイスショーのみに専念する選手をプロとみなすようですね。プロ化宣言後、いちどだけアマチュア復帰できるというルールがあります。
ただ、ナフカ&コストマロフ組みたいに、正式なアマチュア引退宣言はしてないけど事実上プロ、みたいな人たちがいて、このへんルールが曖昧なので、正直いまはあんまり意味ない規定のような気もします……。
スポーツ界において、プロアマの境界があいまいになったのは、1992年バルセロナ五輪から、オリンピックのアマチュア規定が撤廃されたことに端を発すると言われています。それまでは、世界最高峰の国際大会であるオリンピックのメダルを獲るために、コマーシャルに関与できないアマチュアに留まる、という選択があったのですが、バルセロナ以降は選択の必要がなくなりました。オリンピック以降大大会がプロスポーツに門戸を開くと同時に、アマチュア団体のほうでもコマーシャリズムに門戸を開いた。コマーシャル出演禁止の規定がなくなったり、出演できる特例ができたりしたのです。またアマチュア大会にも賞金が設定され、賞金獲得禁止規定は多く撤廃されました。
アマチュアスポーツ選手がコマーシャリズムに組み込まれるのにともない、かつて、野球やサッカー、バスケやアメフトといった、明白なプロリーグがあるスポーツのプロ選手のみをクライアントとしてきたスポーツ代理人たちが、アマチュア選手のマネージメントにも乗り出してきました。トム・クルーズの映画「ザ・エージェント」の主人公がスポーツ代理人でしたよね? スポーツ大国アメリカでは知られた職業で、ハヤカワ文庫で刊行中のハーラン・コーベンの「マイロン・ボライターシリーズ」の主人公の職業もスポーツ代理人です。
昨日の記事にリンクした写真で、高橋大輔選手がいっしょに映っていたのも、大手スポーツエージェント会社IMGの方でしたね。
んで、コマーシャリズムの介在による分類が無意味になっちゃったいま、プロとアマを隔てるものはなにか? といえば、
1・プロテストがあるスポーツなら、プロテストに合格していること(ゴルフ、ボクシングなど)
2・プロリーグがあるチームなら、プロチームに所属していること(野球、サッカーなど)
3・プロ協会があるスポーツなら、プロ協会に登録していること(テニスなど)
4・プロ宣言をすること(陸上、水泳、スケートなど)
みたいなかんじになるかなあ。
さて、ハナシがテニスから遠~~~~~くに来てしまいました(すみません)が、話を戻すと、現在は一般的な、大大会におけるプロアマ混在にさいして、先鞭をつけたスポーツがテニスでした。1968年に、それまでのアマチュアリズム史上主義からコペルニクス的転換をはたし、4大大会すべてにプロ選手の参加を認める決定をします。高額賞金も出すようになりました。プロもアマも参加できるようになった大会のことをオープン大会といいます。全米オープンとか、全豪オープンとかの「オープン」はそういう意味です。
1968年以降、グランドスラム大会にならって、世界中の有力なテニス大会がつぎつぎとオープン化を果たします。
ところが、ここで問題が。男子トーナメントに対する賞金と、女子トーナメントに対する賞金に、莫大な格差があったのです。当時の格差は5~10倍だったと言われています。
格差の解消を求めた女子テニス選手たちは、男子選手主導のATPから離れて女子選手主体のプロテニスツアーを提唱し、このために1970年に設立されたのがWTA、女子テニス協会です。女性解放運動が社会的ムーブメントだった時代ですね。うーん歴史的。
男女の賞金格差撤廃を求めるWTAに対して、ATPは当初、批判運動を展開します。中でも急先鋒だったのが往年の名選手(アマ時代のウィンブルドンで、シングル、ダブルス、混合ダブルスすべてで優勝経験あり)ボビー・リッグス氏で、賞金格差が正当なものであると証明するために、女子の有力選手のひとりマーガレット・コート夫人との対決を要請、コート夫人に勝利します。リッグス氏は続けて、WTAの設立者にしてシンボル的存在だったビリー・ジーン・キング選手に対戦を要求、テニスファンには有名な「男女決戦」が行われることになるのです。
この試合で、キング選手はリッグス氏に勝利、以降、女子テニスは発展していくことになります(ちなみにこの対戦のとき、ホビー・リッグス氏は55歳、ビリー・ジーン・キング選手は29歳。女子のトップ選手に、現役退いた50代の男子選手が勝って当然だって認識だったということですね当時は。……甘いって……)。
しかし、じつのところ、賞金格差は完全にはなくなってなかったんだな。いままでは。
ウィンブルドンの賞金が男女同額になったということは、今後、ほかの大会にも影響を及ぼすと思います。優勝賞金の高額化傾向については、危機感も感じなくはないけど(運営団体がパンクする、ひいては大会そのものがなくなっちゃう確率が上がりますから)、男女同額という決定については、プロテニス界がたどってきた歴史をかんがみて、しみじみとしてしまいました。
いま調べたら、「エースをねらえ!」は、1973年、つまり男女決戦の年から連載が始まってるんですね。影響があったのだろうか。
ビリー・ジーン・キング女史は、今回のこと、どう思ったんだろう。北米メディア、コメントとってないかなあ~。掘りにいってみようかしら。
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