「ペレストロイカ! ペレストロイカ!」って一発ギャグを使っていた芸人さんがむかしいた気がするんですけど、検索しても引っかからない。
桃木先生に聞いてみたら「ペレストロイカってギャグは知らないなあ。『今夜は俺がおゴルバチョフ!』って駄洒落は定番だったけど」と、クールに答えてくださいましたが……えええっ!? 定番だった!? 知らないよ、そんなギャグ!
ゴルビー(ゴルバチョフ書記長の愛称。多分日本人しか使ってないと思います。国内では『ミーシャ』と呼ばれていたと思われる。本名ミハエルだから)が世界政界のマドンナだったころって、ちょうど日本はバブルまっさかりで、当時のサラリーマンたちはやたらと人に奢りたがったものでした。ま、領収書はもらうんですけどねー……なーんちゃって見てきたように語っちゃったりしてー。
やだなあバブルなんて知るわけないじゃないですか。灰原、21世紀生まれだし(どうせウソなら大きく出ようぜ!)。
さて、「ペレストロイカ」は「改革」って意味らしいんですけど、ロシアフィギュアスケート界では、まさにいま、ペレストロイカが行われていると思われる。その一環が、タチアナ・タラソワ女史をアメリカから呼び戻したことでしょう。
チャンピオンメーカーと呼ばれ、いまでこそロシアスケート連盟の顧問職についているタチアナ・タラソワ女史ですが、リレハンメル五輪と長野五輪に出場させたアイスダンス・グリシュク&プラトフ組、長野五輪に出場させた男子シングルのイリヤ・クーリック選手と、つぎつぎ教え子が金メダルを獲得していながら、ロシアスケート連盟の中では長らく立場が弱かったと、やはり教え子であるアレクセイ・ヤグディンの自伝『オーバーカム』の中では描かれています。あくまでヤグディン選手の視点での証言ですが。
ヤグディンによれば、ソルトレイク五輪前後のロシアスケート連盟の役員は、選手時代のタラソワ女史のライバルで、コーチとしても競争関係にあったヤグディンの旧師、アレクセイ・ミーシンに近しかった。ミーシンを離れタラソワに師事しようとしたとき、連盟の役員から「今後はロシアの審判をアテにしないように」というようなこと言われて驚愕した、というエピソードが『オーバーカム』の中にあります。国際大会におけるスポーツでの勝利は、国威発揚の機会であるととらえている人たちは、アメリカを本拠地とし、ロシアのライバルである北米選手たちのコーチングも請け負うタラソワ女史には、あんまり本領を発揮して欲しくなかったんでしょうね。サンクトペテルブルクから動かず、生え抜きのロシアンスケーターたちを育て上げてきたミーシンコーチのほうに心を寄せるのは、ある意味当然です。
しかし、ロシアンスケーターの象徴だったスルツカヤ選手とプルシェンコ選手が一線をひき、次代の選手を育てることが急務のいま、ヤグディン選手以降も、サーシャ・コーエン選手、荒川静香選手、ジョニー・ウィアー選手などをつぎつぎトップ選手に磨き上げたタラソワコーチの力量を、連盟は重要視した……ということでしょう。
もちろんミーシンコーチも、今まで同様連盟の重鎮ではいらっしゃいます。
本日感想を書こうとしてますインタビュー元記事は、2月9日づけ、ロシアの「New Izvestia」誌HPに掲載されたもの。FSUにふらふら遊びにいったときにリンクを見つけました。原文はロシア語。FSUに、有志の方が翻訳してくださっている英語版も上がっています。ありがたや。
原文からの機械翻訳と、英文翻訳をひっくり返しながら、感想など書いていきますね。いつも但し書き入れさせていただいてますが、灰原の語学力は中学生以下なので、誤読の可能性アリですすいません! 記事にご興味を持たれた方は、ぜひぜひ原文もご確認くださいね。こちら → http://www.newizv.ru/news/2007-02-09/63004
はい、前置き長かったけど、ここから本文にGO!
つづきは「15年遅れのペレストロイカ その2」をお読みください。
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