板東英二は毎回トークがひどいと思う。

地元番組でケーキ屋さんを訪れた時の一言。

サツマイモをたっぷり使った「鬼武者タルト」(サツマイモは鬼だし、店が桶狭間だけに。)を食べまして。

「うん、ふん、これあれや、さつまいも三角に切っただけや

一応栗も入ってるんだけど……

うん、ほんとにサツマイモしか入ってないに等しかったけど、もう少し言い方ってもんが。



さまざまなボカロ曲がありますが、ほとんどの歌が作詞作曲を一人のPがやっています。

だから、新聞の広告の「あなたも作詞家」みたいなやつを見ますと、うさんくささを感じるといいますか、作詞をやりたい人と、作曲ができる人の数を考えてみたらどうだろうなんて思ってみたり。

さて、歌詞の中にはストレートなメッセージを伝えてくるものや、多分本人も意味もなくリズムのいい言葉を選んだもの、そして謎かけじみたものなどがありますね。

もちろん、創作という行為をするときに、言葉通り以上の意味を込めるのは誰もかれもがやることですが。

というわけでーかってにー歌詞の解釈をやっちゃおうぜー。

もちろん今日の課題はっ、デP曲です!(これをデ落ちといいます


まず歌詞すべてを掲載…えいっ


拝啓、お姉様/デッドボールP


突然のお手紙、失礼します。
ハート型のシール貼った色気の無い封筒
ネギの香り漂わせた大人ぶった便箋
ずっとずっと前からあなたのことが大好きです
震えた字で書いてくれた可愛らしいその文字
ごめんなさい書かせちゃって実は全部知ってた

早くお姉様って呼びたい
こたえ焦らすのがたしなみ
図書館の
棚越しに
見詰め合おう

紙とペンを取って 恋を始めよう
二人で どこまでも行こう
口に出せない想いをインクにして
かざらず、まっすぐ書こう 「好きです」

お姉様が残した 最後の手紙
この手紙をあなたが読んでいるということなら
私はもう世界の果て越えたところにいるでしょう
ちょっと待って、ウソでしょ?
私を置いていかないでよ!
寂しいなら歌いなさいゴミの底で逢いましょう
穴の開いた傘をさしてその日来るの待ちなさい

そちら側に今から行きます
路面電車の終着駅
ヨーヨーと
いたちごっこ
カレンダー

紙とペンを捨てて 沼に溺れよう
二人で マリーの部屋にこもろう
今日も子供が消えて アリスが死に
ナンシーが殺されるから
海と月が沈み 空が割れたら
二人で ブランコに乗ろう
まわる時計の針が
13番目の数字さすまで続けよう あやとり

左向け 左向け まわれ右 気をつけ?
友達の 友達の 友達が あなた?
明日の 一昨日の 明後日は 今日?
ご飯食べて 歯磨いて シャワー浴びて 寝ましょう?


ほい、以上です。とりあえずデPから歌詞をひっぱろうとしてこの歌ぐらいしか全年齢向けに解釈できなかったというのは秘密です。


黄色がリン、青がミク、黒が二人です。


マリーの部屋が白黒だけで出来た世界であることから、電脳世界にミクとリンがいるのでは?

という解釈がwikiにありました。

確かにミクとリンはバーチャルな存在ですが、それにしては現実的な存在感を二人に与える歌詞となっています。

二人がボーカロイドでありながら、しかしリアルな人格であると考えて進めます。コンピュータソフトであることを前面に押し出してしまうと、アナログな動作の描写があまりにも抽象的になってしまうので。


まず大雑把に全体をとらえます。

リンがミクに手紙を出す→図書館で見つめあう(後述)→ミクは失踪してしまう→空想的な世界で睦みあう二人

といった内容になっています。

最後の連は「めぐりめぐって結局同じ」という内容でしょう。ラスト一行は仲のいい二人の様子でしょうけど。

ここで想像できるのは、ミクとリンが同じ存在、つまり二重人格だったのではないか?ということです。

二人は一つの体を共有し、それゆえ手紙という形のコミュニケーションしかできない。

この視点に立ってもう一度読み進めましょう。


第一連、リンがミクに思いを伝えます。特筆する点はありません。


第二連、リンがミクに会いたい、という思いを抱きます。しかし、ここではまだ会っていない、と考えるのがよいでしょう。第三連、一番のサビの部分で二人はいまだ手紙のやりとりばかりをしているからです。

ここで、図書館で「見つめあう」という部分が疑問になります。

「見つめあう」、ということは姿は認めているが、手紙ではない方法でコミュニケーションをとっていない、と考えられます。手紙を書くという行為に至る以前に相手の存在の認知は必要ですから、以前から「見つめる」だけはできたのでしょう。

では「図書館」はどうでしょう。具体的な場所でしょうか、何かの比喩でしょうか。

ここでは二重人格、という説に立っていますから、抽象的な空間と取ります。二人の間にある棚が、二人を隔てる壁だと思われます。

最初は本の間に手紙を挟んでやりとりするのかなーと考えていましたが、根拠が薄すぎて。

情報のあふれる場所→電脳空間、とも取れてしまうんですよね。

さまざまな思いのあふれる心の中、ぐらいだと二人が出会えそうで出会えない場所になるのでここらへんが妥当だと思います。

図書館の解釈が難しいのでいっそ割り切って、「棚」という向こうの透ける壁を導くためのリードだと考えてもいいような気がしてきました。


第三連、手紙を送りあってラブラブです。特筆する点はありません。


第四連、二番に入りました。ここから加速度的に謎に突き進んでいきます。

ミクが消えてしまいました。これを人格の喪失だと考えます。

難しいのは「ゴミの底」、「穴の開いた傘」です

「その日」というのは、ミクが消失したことを受けてますから、リンが消えてしまう日のことでしょう。

消えるためのプロセスが「ゴミの底」に行くこと、「穴の開いた傘」を指すことなのです。

ゴミの底はゴミ箱、いらなくなったコンピュータプログラムの行先ですから、存在のデリート=死ですね。

穴の開いた傘はどうでしょう。穴があるとそこから雨が滴ります。

これが酸性雨だったら?と私は推測します。

酸性雨は金属などを侵します。これをプログラムである彼女たちを破壊しうる物質の例えだと考えてみました。

少し苦しいと自分ながらに思います。

雨を浴びる→死に近づく、は歌詞の中に示されていますが、その間のプロセスは説明されていないのでここでは酸性雨をその答えにしてみました。


第五連、列挙されている言葉の共通点を見つけ出します。

「路面電車の終着駅」「ヨーヨー」「いたちごっこ」「カレンダー」

これらは終わりなく続くものの例えです。

しかも、終わりが新たな始まりとなるものですね。

路面電車は基本的に一本の線路を行ったり来たりしますし、普通の電車とは違う点が強調されていることは注目すべき点です。いたちごっこというのは「きりがない」程度の意味でつかわれることが多いですが原義は、互いの手をかわりがわりつねる遊びのことです。今調べて知りました。


第六連、ここが難関です。ふう。

一行一行気を引き締めていきますよー

「紙とペンを捨てて」手紙によるコミュニケーションの放棄を意味します、つまりそれ以外の方法を手に入れた、二人が出会うことができたという意味でしょう。ここから先は二人が出会った様が描かれていますから。

「沼に溺れよう」沼は暗くよどんだ、空気のないところですから、リンも生きた存在ではなくなってしまったのでしょう。だからこそミクに会えたわけですが。溺れる、は恋に溺れるというコロケーションを想起させますねー。沼という言葉が溺れる程度をなおさらに深く感じさせます。

「二人でマリーの部屋にこもろう」マリーの部屋とは、白黒の世界で育ちながらも色の概念を完全に知った少女が初めて色を見たらどうなるか?という思考実験です。

白黒だけの世界が彼岸を思わせる一方で、そもそもこの実験がマリーの部屋という仮想的な、実際にはあり得ない空間を仮定しているわけですから、空想的な世界と取ることもできるでしょう。

こもる、ということは色彩世界に出ることを彼女たちは拒絶していると考えられます、理由は単純ですね、そこでは二人は決して出会うことはできないから。

「今日も子供が消えてアリスが死に」アリスは不思議な国のアリスから。子供は誰でしょうね。わかりません。アリスかもしれませんし、アリスのモデルになった少女たちかもしれませんし、とっさに思いつくところと言えばハーメルンの笛吹でしょうか。アリスを指すと冗長になりますから、別人物ととらえてみましょう。

文脈的には、不思議な世界に二人はやってきているわけですから、ハーメルンの笛吹によってどこともわからない場所に消えた子供、不思議な国に行ったっきり姿を見せなくなってしまったアリス、というように迷い込んでしまった空間についての描写かなあと考えます。「子供」の根拠が薄いのが少しつらいです。

「ナンシーが殺されるから」うん、誰だよ、ナンシー

本当にナンシーが誰だかわかりません。女の子の名前つながりでとんとんとんと来ているのはわかりますが、どのナンシーを指しているのだか意味不明です。

だって思考実験→童話→の流れで次が予想できませんし。

個人的には陣内智成の英会話ネタ、「これはゲタ箱ですか?」「いいえ、それはナンシーです」を思い出しますが、これであるわけがないので却下。


wikiにあったナンシーの元ネタらしきものをいくつか上げます。僕の知識が及ばないところもかなりありましたので諸説を調べつつ説明します。

・そして誰もいなくなった説

オーエン夫妻の妻の名前ナンシーからでは?という説。

残念ながら原作を読んでいないため、肯定も否定もしがたい。

確かにみんな死んでるんだから死後の世界の文脈にはあっている。

実在しているかどうか謎の人物であり、正体不明=殺されているかどうかもわからないので信憑度50%ぐらい。

・シド・アンド・ナンシー説

昔のミュージシャン、シドの恋人だったナンシーでは?という説。

デPがこのミュージシャンの歌を知っている、好きである、ということはありそうなことの範疇であるのもこの説を後押ししていたり。

ナンシーが死んだ経緯を説明すると、シドがクスリでトリップ→いつの間にかナンシー死んでた→シドの手には包丁が→あれー覚えてないんだけどなー

ここだけ読むとどう考えてもお前だろうと言いたくなるような感じですよね。しかしそれだけで片づけるには疑問点が多く、いまだに犯人は謎のままだそうです。

本当に殺されているわけだし、“Who Killed Nancy?”というドキュメンタリーもあったようなので殺す、という言葉との親和性は高い。信憑率95%ぐらい。


では、後者だとして、ナンシーが殺されるとはミクとリンを描写するうえでどのような表現になっているのか。

最後の「から」から考えてみます。理由が示されているわけですが、前の文章を説明しているのか、後の文章を説明しているのかを選択せねばなりません。

この場合は倒置的に置かれていると考えた方がいいのではないかと思います。何せメロディがそこで区切れていますから。

これを順に直しますと「今日も子供が消えてアリスが死にナンシーが殺されるから二人でマリーの部屋にこもろう」となります。

「から」という順接の根拠となりうるだろう理由づけをしてみましょう。

・女の子たちが消えるという危険を避けるためマリーの部屋にいる

・女の子たちが消え、ミクたちもその結果としてマリーの部屋にいる

これまでの文脈を考えて、後者の説をとります。

つまり、女の子たちの消失を描くことで、ミクとリンがこの世の存在でないことを示していると考えられるのです。

少し長くなりましたがナンシーのくだりはここまで。ふう。


「海と月が沈み」月が海に沈む光景は印象的な風景として容易に想像できますね。私はそこにイルカが跳んでいる様子を思い浮かべます。なごり雪の方じゃなくてラッセンの影響ですね。そこに、海が沈むというあり得ない現象を付け加えています。

「空が割れたら」これもあり得ない世界の表現です。

「二人でブランコに乗ろう」ここで重要なのは、このあり得ない世界で望む行為がブランコであるという点です。ミクとリンは二重人格だろうというのはここらへんを論拠にしています。体が二つ無ければできないわけですから。ブランコが性的なイメージだという意見をコメントで見かけました。まあ解釈の許容範囲内じゃないですかね。二人でやることですし。

「回る時計の針が13番目の数字指すまで」これも空想世界の説明。

「あやとり」ブランコと同じく、二人でなければできない行為の例。


第七連、いっくよー

「左向いて左向いて回れ右気を付け?」結局おんなじ方向いてますね、堂々巡り。自分と相手の同一性を暗示しているかのようです

「友達の友達の友達があなた?」ぐるぐる。

「明日の一昨日の明後日は今日?」これ、今日じゃないんですよね。明日の一昨日の明後日は、明日です。どういうことでしょう。

1言葉のリズムをとった説

2明日なんか来ないんだぜ説

3デPが間違えちゃったんだぜ説

お好きにどうぞ。個人的には1を推します。「明日の一昨昨日の明後日は今日」は正しいですし「昨日の明々後日の一昨日は今日」も正しいんですが、いかんせんリズムが悪いんですよ。3は…ジョークのつもり。

「ご飯食べて歯磨いてシャワー浴びて寝ましょう?」最後は二人のラブラブ生活で締めです。ラブラブなのに、2番の歌詞が刺激的なので彼女たちの行く末は本当に正しかったのか?と不安にさせてくれます。


ふう。以上!

まさかこんなに長くなるとは自分でも思いませんでしたが、読んでくれる人いたらサンクス!

友人からはよく「オタクの話ならともかく、政治とか小難しい話のときは読み飛ばしている」という意見をいただきます。

書いているときはどっちも楽しいんですよぅ、ぐすん。