クリスマスが近づく、街の雑踏。俺は友人と二人でその楽しげな人混みの中を歩いていた。曇り空の下でしかし恋人たちの笑顔は明るく、空気もどこか浮かれている。

 「ふん…面白くねえな。」
 友人は暗い瞳で舌打ちした。
 「なあ、俺達も今日は楽しもうぜ?」
 その顔がきたるべきどす黒い快楽を予感してだろう、醜い笑いに歪んだ。こいつが「楽しむ」ためには「獲物」が必要だ。俺は反吐が出そうになる感情をどうにか抑え、友人をじっと見つめた。
 「俺は、やめておく。」
 友人は肩をすくめて両手を広げた。
 「けっ、またかよ?」
 「お前、俺達が置かれている状況が分かっているのか?こうしている間にも…」
 俺が友人を諭そうとすると、彼の顔はまたたく間に怒りの形相に変わった。
 「分かってねえなあ、相変わらず!だからこそだろうが!楽しみの一つもなけりゃ、やってられねえだろ!?」
 悪鬼のような形相に気おされ、俺は友人から目を逸らす。そして、ぽつりと尋ねた。
 「今日は…解放してやるんだろうな。」
 わずかな希望はしかし、友人の嘲笑によってかき消された。答えは分かっていた。
 「ハッ!まさか!解放してやったせいで随分面倒な事になっただろうが。忘れたのかよ?」
 「…いや。」
 俺の返事は聞こえなかっただろう。友人は早くも今日の獲物を探し始めていた。その狂気じみた目は、俺に虫唾を走らせる。
 「おっ…あの女なんか、どうよ?」
 ややあって、友人はその少女に目をとめたまま言った。10代後半だろうか。色が白く、亜麻色のまっすぐな髪を肩の下まで伸ばした美しい少女。白いゆったりとしたセーターを身に着けている。いかにも、こいつの好みである。
 …彼女が、今夜のいけにえか。
 俺の返事を待つことなどせず、友人は道行く人々を押しのけて少女へ一直線に向かっていき、やにわにそのか細い肩を鷲掴みにした。
 「な…何するんですか!」
 少女は驚いてその手を振り払おうとした。だが友人は薄笑いを浮かべながら大振りのアーミーナイフを少女の顔に突きつけた。少女の動きが止まる。
 それを見ていた青年が友人に憤然と近づいた。
 「おい、やめないか!」
 …いつの世も、早死にするのはああいう人種だ。友人は青年に向かって無造作に左手を向けた。
 次の瞬間。
 何の前触れもなく、青年の頭がざくろのように吹き飛んだ。大量の血と脳漿が周囲に飛び散り、群集から悲鳴が上がった。
 「き…【キラー】だ!」
 その叫びを合図に俺達の周りの人間達は蜘蛛の子を散らすように四散していく。
 【キラー】。それは俺達、人類の突然変異体の通称だった。恐怖と憎悪の込められた…。
 俺達は強い念力によって、相手の人間の体組織を内部から破壊する能力を持っている。ただし外見は通常の人間となんら変わりない。いつ頃この世に生まれ始めたのか、どれほどの仲間が世界中にいるのかは分からない。分かっていることは、【キラー】は人類共通の敵として、見つかり次第抹殺されているという事だ。特に奴ら…【資格者】の存在はやっかいだった。
 「おい…早く逃げよう。連中に見つからないうちに…」
 周囲に注意しながら友人の方を見ると、先ほどの少女が友人に組み敷かれているのが見えた。恐慌のためか彼女は友人のされるがままになっている。俺は思わず目を逸らした。
 目を逸らした先に、俺は一人の幼い男の子の姿をとらえていた。男の子は先ほどの少女をじっと見つめている。彼女が何をされているのか、彼にはまだ理解できないだろう。その穢れの無い瞳。まるで俺達を断罪にやって来た天使であるかのような。
 男の子はぽつりと呟いた。
 「お姉ちゃん…。」
 俺は、はっとなって男の子を見た。するとあの男の子は、友人のいけにえとなっている少女の弟か…。思わず目を閉じようとする俺の耳に、金属の軋む嫌な音が届いた。
 見回すと、男の子の頭上、ビルの改修工事の足場らしい巨大な鉄板が今しも落下を始めようとするところだった。


 …気がつくと、目の前でさっきの男の子が泣いている。…重い。俺を押し潰しつつあるこれは…あの巨大な鉄板だろうか。…俺は、何をしたのだろうか。だが、なぜか俺の心は不思議に満ち足りていた。逃亡に疲れ果てた日々の最期に訪れた、今までに感じたことの無い充足感だった。
 友人が、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのが見えた。その後ろには、散乱した大量の血と肉片、そして血に染まったセーターらしき衣服が見える。彼は姉を呼び泣きじゃくる男の子の後ろに立つと、狂った笑いを浮かべたまま左手を男の子の頭に向けて…


 冷たい雨が降っている。見上げる空は重い鉛色。巨大な墓標のようにそびえ立つ無機質なビルの群れが見下ろす中を、無数の人間達がうつむいて歩いていた。雨が薄く煙る中を、どこへ向かうとも知れぬ彼らは何かに急き立てられるかのように歩き続ける。歩くことをやめた者たちは、街角に座り込んで死んだ魚のような目で彼らをぼんやりと眺めていた。

 と、急ぎすぎていたのか、肩を他の者にぶつけた男がいた。地味な黒のトレンチコートを羽織った、どこにでもいそうなビジネスマン風だ。

 「あっ…すみません。」

 40歳くらいの華奢な体格の男は、ぶつかった相手の男に慌てて詫びた。だが相手の男は不機嫌そうに中年の男を睨みつけた。

 「ああ?どこ見て歩いてやがんだオッサンよお!」

 まだ20歳そこそこだろうか、恰幅の良い体格にダボダボのジャージ姿。顔のあちこちに銀色のピアスが突き刺さっている。眉を剣呑にしかめ、ぎょろりとした目が獲物を見つけた肉食獣さながらに爛々と暗い光を帯びていた。

 「おい、コイツみんなの所に連れてこーぜ。」

 別の若者がそう言うとキキキと笑った。金色の髪を鶏のトサカのように逆立てた、カマキリのように細い体躯の少年だ。この寒さだというのに黒のTシャツに同じ色のショートパンツ姿だ。

 「オッサン、俺、肩ハズれちまったわ。どーしてくれんの?」

 恰幅の良い若者が中年の男に凄んだ。中年の男はおどおどと視線を逸らす。

 「キキキ!こいつ、ビビッてやがるぜ!」

 トサカの若者が愉快げに奇声をあげた。

 「オッサン、いいからちっとカオ貸せよ。」

 中年の男は若者達に囲まれ、路地裏へと連れ去られていく。だが、不運な男を助けてやろうという者は、誰もいない。これだけ多くの人間達が歩き回っているにもかかわらず。

 路地裏の薄暗い通路は、やがてさびれたビルの骨格が建ち並ぶ小さな広場へと通じていた。バブルが弾けた頃に建設中止となったまま放置された廃ビルだ。骨組のいたる所から雨水が滴り落ち、地面は泥とぬかるみに埋め尽くされていた。

 鈍い音が辺りに響き、中年の男が泥濘の中に勢いよく倒れこんだ。泥水が飛び散り、中年の男は苦痛にうめき声を上げた。

 「おいオッサン、俺らもヒマじゃねーんだ。さっさと出すモン出せや。それとも俺らのサンドバッグになりてーか?」

 指をパキポキと鳴らしながら、恰幅の良い若者が中年の男を見下ろす。

 「そ、そんな…肩がぶつかっただけじゃないですか。こちらは謝っているのに…」

 ぼそぼそとそう言った中年の男の身体が宙に浮き上がった。恰幅の良い若者が腹を思い切り蹴り上げたのだ。中年の男は地面に叩きつけられると、耐え切れずに胃の中のものを吐き出した。

 「オイオイ、誰がそんなモン出せっつったんだよ。なあ?」

 恰幅の良い若者が周囲を見て笑うと、仲間の若者たちも乾いた笑い声をあげた。

 「あー、もうめんどくせえや。どっか裂いてやりゃあ、財布も出てくるんじゃねーの?」

 トサカの若者がそう言って取り出したのは、折り畳み式のバタフライナイフだ。よく手入れされているのか、油を流したような光沢が刃に浮かぶ。中年の男は怯えたように後ずさった。だが、すぐにビルの鉄骨が背中に当たる。逃げ場は無かった。

 「寂しい世の中だよなあ?昔はケーサツとかいうモノもあったらしいけど、今じゃだーれも他人のことになんか構っちゃいられねえ。殺したい時に殺し、奪いたい時に奪う。みんな自分のコトで精一杯だ。歯止めになってんのは、もしかしたら相手が【ヤツら】だったらどーしよー、ってアホな怯えだけ。」

 言いながら恰幅の良い若者は中年の男を足で小突いた。

 「バカくせえ話だぜ!これだけ他人を狩りまくっても何も起こった試しがねえんだ。結局【ヤツら】の話なんざただの噂だったってコトよ。」

 恰幅の良い若者は面白くもなさそうに、中年の男の顔に唾を吐いた。

 「や、やつら…?」

 中年の男がいぶかしげに呻くと、若者は舌打ちした。

 「ケッ、おっさん、いい歳コいた大人のくせに知らねーのか?昔あったホーリツだのケーサツだのの替わりに、イマドキの罪人を裁ける連中がいるって話をよォ!そいつらは裁きを下す前に、自分が裁きを下す資格者だってアカシを見せてくれるって話だぜ?ンなもんがあるなら、一度お目にかかってみてーもんだよなあ?」

 恰幅の良い若者が言うと、仲間達は声をあげて笑った。

 「…なるほど。それで君達は、その資格者とやらを探して悪事を繰り返している、と?」

 中年の男がうつむいて言うと、若者たちはさらに笑う。

 「そうともよ。目障りなジジババを殺し!ヤりてえと思った女を犯し!金持ちからも貧乏人からも奪い!ありとあらゆるモノを破壊する!これだけ暴れてりゃあいつかはそんな化けモンに会えるかと楽しみにしてたのによお…結局そんな奴はいやしねえ。この世の中、俺達みてえなワルの天下なのよ!」

 「ギャハハハハ!違えねえぜ!ひやっはっは!」

 若者達の哄笑の中、中年の男は静かに立ち上がった。

 「やれやれ…それは随分さみしい思いをさせたようですね。」

 周囲の空気が奇妙に揺らめく。男のまわりに降る雨が、タバコを水につけたような音を発して蒸発し始めた。濛々たる水蒸気が立ち込める。

 「…あ?」

 若者たちは異変に気付き、男から徐々に離れ始めた。

 「君達が言っていた、証というのは…これの事でしょう。」

 中年の男が右手ですばやく何かの印を結ぶと、不気味な音を発して奇妙な紋様が宙に現れた。血のような赤。サンスクリット語のような複雑な文字。何が書かれているのかは分からない。分かるのは、この男がただの人間ではなかった、という事だ。

 「殺人許可証…。いつ、誰が我々に与えたのかは、今となっては誰も知りません。確かな事は、この許可証はどんな人間に対しても現れるわけではない、という事。つまり、君達のような、【殺しても構わない】人間に対してのみ発現するという事。それと、我々はこの許可証の力を借りて、【合法的に】悪人を好きなだけ虐殺できるという事。そして、君達「普通の」人間に、我々を殺すことが不可能だという事…。」

 中年の男は顔を上げた。残忍で凶悪な笑みが浮かんでいる。目の奥には何の感情も浮かんでいない。若者達はようやく知った。獲物は彼ではなく、自分達の方だったのだという事に。

 中年の男が左手で宙をひと撫ですると、あろう事か、空間が切り裂かれ、そこから邪悪な意匠を施された巨大な鎌が現れた。柄の先には笑う髑髏が取り付けられ、人間の身長ほどもある刃が闇夜の月のごとく光った。

 男の動きは俊敏だった。一瞬で跳躍して若者達との距離を詰めると、ためらう風もなく大鎌を一閃する。トサカのついた生首が血の尾を引いて宙を舞い、更に刃が十文字に空を裂くと、その頭は綺麗に四等分されて次々に地面へ落下した。鎌の切っ先に残ったのは二つの眼球だ。男が軽く鎌を振るうと、その眼球が残りの若者達に向かって飛んだ。

 「う、うわあああああ!?」

 思わず手で眼球を受け止めてしまった若者が、発狂したような声をあげて逃げ出した。男は下弦の月のような形に唇を歪め、笑みを浮かべたままで逃げる若者の背中に迫った。大鎌がうなりを上げ、若者の背中から腹を一気に貫き通す。背中からは勢い良く赤黒い鮮血が公園の噴水のように飛び出し、腹からは折りたたんで収納されていた腸がどろどろとあふれ出した。若者は既に絶命しているが、男は鎌を縦に滑らせその胴体を正確に二等分した。

 恰幅の良い若者は、先ほどまでの威勢など消失してしまったようだった。青ざめた顔でガチガチと歯を鳴らしながら、近づいてくる男の姿を凝視している。血塗られた大鎌を担いだ男は、残虐な微笑みを浮かべたままその若者を見つめ返してくる。

 「な…なにが資格者だよ!こ、こんな…こんなのアリかよッ!!」

 涎を飛ばして声を裏返しながら絶叫する若者に、男は冷然と言い返した。

 「君達に蹂躙された人々も思ったでしょうね。こんなのアリか、と。」

 次の瞬間、大鎌がためらいなく振り下ろされた。若者の脳天に鎌の刃が突き立てられ、どす黒い血と灰色の脳漿が水音をたてて噴き出す。男はなおも手をゆるめない。鎌の刃は恰幅の良い若者の頭に吸い込まれるように深く、さらに深く刺さっていく。その両目が反転しても勢いは止まらず、やがて、だらしなく開かれた口の奥に刃が通っていくのが見えた。男が刃を静かに手前に引くと、刃は若者の胴体を左右に分断しつつ再び姿を現した。後には血と肉と骨の塊となった何物かが音を立てて地べたに飛び散っただけだった。

 冷たい雨が降っていた。小さな広場に、もはや物言う者は居ない。男は無言のまま印を結ぶ。淡い青色をした紋様が宙に現れ、三つの死体の傍に吸い寄せられていく。やがてその紋様が死体の中に吸い込まれると、淡い光が死体を包み、光が消えたとき、そこにはもう何も残されていなかった。

 「…浄化完了。」

 男は静かにそれだけ言うと、再び左手で空を裂いた。大鎌は音も無くその裂け目に吸い込まれ、やがてそこには何も見えなくなった。

 泥のついたコートを男は気にする様子もなく整え、再び雨の中を歩き出した。うつむき、気弱な様子で。