こんにちは
お立ち寄り頂きありがとうございます!(^^)!
行くことができるなら過去かなあ
大正時代ころに(^^)v
隣県からここに移り住んだ祖父の行動が個性的で
山関係の業者から商店主に転じるまでの経緯や
病死した長男にかわって戦地に行った次男さん;;;
当時お国のため、と当然だったけれど
策がなかったか、と今も思う;;;
祖父はこの地の仲間と劇団つくり住民の娯楽になったことは
すごい。と。
けれど
目が悪いからこそ長女を学びの場に出すべきだった。
↑当時は下の子のめんどうを、が当たり前で。
かなりマイナスになってまった(笑)
当然、じだいだから。と返されるかも。
ただ、
残された子供が成長後は幸せになってるか。
兄弟一人になった叔母本人は愚痴ることはなく
ありがとさま、とくらしてた
私も親になり
田舎でも引きこもりが増えてる時代に
威厳ももちながら
未来を見通せたら。と
一人時間の時ふとおもっあり。(^^)v
この時代に能力者でインしたいおばさんでした。