へ?モモからバトンが手に、、、
ヽ(*'0'*)ツ
ってことで、、、再びモモの手に戻る前の前座に
「アンダーグラウンド」の続編にあたる
「約束された場所で」のご紹介だけ。。。
「アンダーグラウンド」が被害者のインタビューで構成されているのに呼応して
本著は8人の信者へのインタビューと
村上春樹、河合隼雄両氏の対談
(あれまあ、こう来たか!読むべくして、、だった)
で構成されています。
被害者側の語る事実を集中的に拾い集めた60ものボリュームに比して
8人というのは数で言えば少なく文庫本の厚みもぐっと手軽。
しかし、決して「少ない」とは感じなかったです。
一人一人のインタビュー時間も3~4時間と前回より長いものだったこともあろうが
それは60人がそれぞれの事態の受け止め方をしたこととその共通事項以上に8人共有の何か(これももちろん人によって随分同じ教団内部でもとらえ方はいろいろだな、、と思わされたが)は濃度はわたしにはこれくらいで十分すぎるほど濃いものだったから。。
村上氏はむしろ被害者側の方が個性的といったけれども、
私自身は信者側の傾向のほうが、文章を読んでいてちょっとしんどかった。
両者とも「ノンフィション」だけど、
通常のノンフィクションは
著者の考えがかなり色濃く前面に出されるのではないかと思うところ、
ここでは著者の考えのまとめよりも、一人一人の真実をできるだけ誠実に描き出すことに重点がおかれており、「明確なひとつの視座ではなく、明確な多くの視座を作り出すのに必要な血肉のある材料」というところ、
実際に起こった出来事「事実」より
その人にとっての真実のほうを優先しているという点でも
みなにとってより意味をもつものではないかと思いました。
実際、我々がもともと知っている情報はマスコミを通してものがほとんどだったけれど
被害者側、信者側ともに
「こんなふうにちゃんと聞いてもらえない」という
いじくり回される不満、不信の意識は
当然のごとくかなりひどいものとしてあったようで、
その点本書は読む側にとってだけだけでなく語る側にとっての
(つらい面、悪化もももちろんあったようだが、、)
また、社会全体としての
カタルシスとしても意味の大きい作品だと思う。
私個人的な興味も含めて随所随所に書ききれないほどたくさんの示唆を含んだ箇所がある本書でしたが
河合氏が村上氏に
「村上さんが聞いている態度によって、これだけのものが出てきたんだと思います。~(中略)普通の人が聞いても出てきませんよ。(中略)つまりね。話をしていても、相手にわかってもらえないと話しが続かんわけですよ。わかってもらえないと気持ちはでてこないのです。」
といってるところは、考えてみれば当たり前のことで、また実際平易な文章でかかれてますが、実際の現場で自分がそれができるか、となると相当難しいところで、本文をよんでもなるほどと思います。
なんか教団専門用語がわかんないってだけじゃなくて、
相手の知識教養、懐の深さ、、
実際に相の手をうつのがたとえ「はあ」とかだけであっても
相手の話がわかってるのとわかってないのはえらい違いで
そして「気持ち」以上のレベルのものも同様に、
それがわからない人の前にはなかなか現れないものなのかもしれません。
その人のより深いところを引き出す力、、相当厳しいけど
それが人間力というものなのでしょうね。
宗教、とくに「カルト」と呼ばれる宗教に共通する問題、それを生み出さざるを得ない現代の日本という土壌、そこに集う人たちの純粋さも含めた特徴についても、その善悪の扱いの平板さ、バランス感覚の大切さを養いどころ、組織が大きく純然たるものになればなるほど生まれる圧力と、そこからどうやって悪が生まれざるを得ないかということ、、、、
本人達の言葉とともに、オウムの音楽なんかについての感想を交えながら
とても的確に表現、言語化されていて(自分にはとてもできないことで)
腑に落ちたことが随分ありました。
正直、え~?そこでおしまい?次行っちゃうの?
そこからその先がが聞きたいのに、っての、多々ありましたが。。。
そして、ためらいながら表現されていましたが
被害者の被害の質が、
その人が以前から自分の中に持っていたある種の被害のパターンと呼応していた
というのを村上氏は肌身にしみて感じざるをえなかったようで、
そこまで「アンダーグラウンド」を乱読していく中で気づけなかった自分はもう一往復、できたらしたいと、あの分厚い本をとりあえず返却せずに手元にもっています。