モモです
毎日、激暑ですね~
私は、暑さには強いのですが、今年はさすがにバテバテです。
しばらく投稿しない間、いろいろと書きたいことはあっても
なんだかやる気がしなくて、時だけが経ってしまいました。
先週は大阪へ行き、明太子やもみじ饅頭にも、久々に再会し
慌しい日程でしたが、充実していました。
もうちょっと、大阪でゆっくりして、おいしいもの食べたり
したかったけど。
で、明太子に会ったときに、なんだかいつもと違うマダムモード
だったので、思わず写真撮影しちゃいました。
このブログ上で公開しようと思ったけれど、それもちょっとね・・・
と考えて、写真をブログメンバーなら見れる画像フォルダーに
アップしておいたので、良かったら見てみてね。
前置き長くなりましたが、そろそろ本題に入りたいと思います。
最近、あるテーマが私の周りによく登場します。
前回に投稿した内容も、それと重なるのですが、
図書館へ行っても、テレビを観ていても、なぜか生と死について
のテーマが気になるというか、目に飛び込んできます。
まずは、1ヶ月ほど前に読んだ本が、なかなか良かったので、
紹介したいと思います。
『健やかに逝く』 伴 梨香 著
この著者は、ヴィソルカスの学校の1期生で学んだ方ですが、
それより前に、
『海・森・大地の見えざる医師たち ホメオパシー』
という本を出版していて、その中では、ご自分が取材の一環として
ドンのセッションを受けたときの体験談も書いています。
今回の著書の中では、死に対して向き合う中で、何ができるのか
そして、幸せな死とはどういうことなのか
医師、宗教家、そしてヴィソルカスへのインタビューも交えて
理解しやすい言葉で語られています。
私個人にとって、この本の中に語られていることは、今まで
心のなかで、なんとなく感じていたことを、すっきりと表現してもらえた
という清々しさがありました。
そして、本の後半では、アーユルヴェーダについても、日本人医師の
診察を実際に受けて、この療法の目指すところについて、そして
生と死に向き合う姿勢についても書かれています。
なかなか興味深い内容でした。
もし、機会があったら読んでみてね。
長くなりますが、もう一つ。
昨日の夜、教育テレビで放送された、
「食べなくても生きられる」 胃ろうの功と罪
http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
胃ろうというのは、何らかの原因で、口から食物を取れなくなったときに
胃に穴をあけて、チューブで栄養を送り込むというものです。
以前は、鼻からチューブを入れて栄養を送りこむという方法が主流
だったのですが、この胃から直接入れる方法は、患者さんにとっても
介護する側にとっても、負担が少ないということで、最近増えています。
ただ、そこにも色々な問題があり、意識がなくなっている患者さんや
認知症で、ご自身で判断ができない患者さんに多く使用されている
現実があります。
場合によっては、本人の望んでいない延命治療となっている可能性も
あるわけで、自然な死という観点から言うと、必ずしも最良の選択では
ないということです。
実は、日本に初めて胃ろうを導入した医師本人が、この功罪について
現在は問題意識を持ち、何がその患者さんにとってのベストなのかを
良く考える必要があると提言しています。
その部分だけを聞くと、身勝手なことを言う医者だなって感じるかも
しれないけど、導入した当初は、もちろん患者さんにとっての最良の
選択だと思って始めて、実際にその状態から回復して、
口から食事をとれるようになった方もいるわけです。
ただ、すべての患者さんが、その状態から回復できるわけではなく、
意識のないまま、ただ生かされているということが、その人にとって
幸せなことなのか。
やはり、死をどう受容するかについて考えていくことと、医療を
行うことは切り離すことができない、ということなのですね。
この医師は、自分が始めたことに対して、決してきれいごとだけを
言わず、そのマイナス面にも真摯に向き合っているところは
見習いたいと思いました。
前回に続き、また重いテーマになってしまいましたが
最近は、こんなことばかり考えています。
実は、まだまだ、このネタで書きたいことあるのだけど、
気力のあるときに、チャレンジしたいと思います