ごはんです。
最近はテレビほとんど観てなくて、(ドクターGくらいしかまともに観ていない)
気づくと爆問終わってるんだよね~。
モモの書いた記事を読んで、去年私が先生にお話を聴いてもらった時の感想というか、
疑問というか、もやもやをまた思い出しました。
>何かを見た時点で、その人のDelusion によってありのままに
>観れていない、それにさらに熟成が加わってしまえば、さらに
>アレンジされてかなり変化してしまうってことですよね。
以下そのときに書き留めたままを。
自分の過去に向き合い続けて
他人にそれを話す。
うまく話せない。
きっと自分で自分の記憶をコントロールしている。
自分を通してしか世界を見ることはできない。
あたりまえのことなんだけど、人は客観的に見ていると言う。
‘そのとき’に何を思ったのかなんて
正確に記憶してない。
ドラマでよく印象深いシーンや言われたことを繰り返すとこあるけど
ひとつの言葉や自分の目で撮った景色は思い出せるけど
その前後や周りのことは見えていないことが多い。
覚えてる記憶を都合のいいように解釈してるのでは?
そんなふうにも感じてしまった。
そしてすでに記憶はあいまい。
そしてこの後に、自分がそれを受け取る側になることに
‘そんなことできるのか’とまで書いていました。
自分のデリュージョンを知り、そのフィルターを出来うる限り薄くし
(よく言うデジカメの画素数を上げる喩えね)、
相手のありのまま見えていない見え方の方向性(という言葉でいいのか)を洞察し、
熟成の傾向を探る。
なんて、簡単に書いてますけどね。