モモです。



6/1に放送された爆問学問を観た人いるかな?
法心理学という学問って観る前には全く知らない分野だったから、
正直あまり期待してなかったんだけど最初から最後まで、
気を抜く暇がないくらいおもしろかった。
月曜の16時から再放送があるので、見れる人がいたらぜひ!


前置きが長くなりましたが、本題に入りますね。
足利事件って、最近話題になりましたよね。
菅谷さんという人が、冤罪を主張して裁判で逆転無罪になった事件。
この事件の検証をして早くから冤罪の可能性を指摘していたのが、この先生。


どうやって冤罪だと見分けたのか?
それは取り調べの調書を詳細に調べて、菅谷さんの通常の語り口と、
事件について自白した部分の語り口の間に明らかな違いがあることを
発見したそうなんです。
『語り口』 の分析をするっていうところ、なかなか興味深かった。


やってもいない犯行を自白してしまうって、どんな心理状態なんでしょう?
それには、取調室という特殊な環境が関係するらしい。
人は、自分の話すことを相手にまったく信じてもらえない、
ということに慣れていない。

取調べをする刑事は、まず“こいつがやったプンプン”という前提で聞いているから
いくら「やっていないよ~叫び」 と言っても信じてもらえない。
そういう状況は、普通の人間にとっては非常に辛いわけです。
で、もうそこから逃げ出したくなって、つい「やりましたしょぼん」 と言ってしまうのだとか。


それから、他にもおもしろい話がありました。
人の記憶は、その人にとってはリアルなんだけど、事実とは合わないことが多い。
人は自分の注意や関心で対象を見てしまう。
記憶というのは、自分が体験したことの意味づけであるから、
すでに体験した段階で歪みが生じている。
記憶は不確かで、さらにまわりのいろんな影響で変わってしまう、
ワインワインのように発酵し熟成していくもの。


・・・ということは
まず、何かを見た時点で、その人のDelusion によってありのままに
観れていない、それにさらに熟成が加わってしまえば、さらに
アレンジされてかなり変化してしまうってことですよね。


そう考えると、ありのままに人を観るって、ほんとに大変なわけだ。
だって、その人のDelusion + 熟成 + 観る側のDelusion が
真実の前に3段階で立ちはだかっているんだもの。


番組の最後には、さらにおもしろい話があって、
人の会話はコントに近い(特にアンジャッシュっていうコンビのコント)
コントって、かみ合っていないところがおかしくて笑えるんだけど
日常的に、私たちの会話も先入観のあるもの同士の
“かみ合わなさのかたまり” 
人生はコントみたいに、かみ合わなさの連続である。


確かに、そうかもしれないなぁ・・・と妙に納得させられてしまいました (^_^;)