モモです。



インド風炒飯キャンプに参加しながら、考えていたことがあります。


人の人生を理解するってどういうことなんだろう。
人が人を観るって、どういうことなんだろう。


人は誰しも完全ではないのに、人を観るなんてことができるんだろうか。
それをできるなんて思うこと自体が、思い上がりなんじゃないかって。


そんなことを考えながら、5日間のキャンプを過ごしました。

そこでは、丸、三角、四角、ギザギザ、スベスベなど色々な形の具が
鍋の中に放り込まれて、5日間かけてじっくり煮込まれました。


グツグツ煮こまれながら鍋、ある単語が私の中で、何度も反響していました。


    STUCK


この単語には、いろんな意味があるけれど、このキャンプの中では
粘着する、固着する、はまり込む、(じっと)とどまる、当惑する、
などを意味する STICK の受身形で使われていました。


”人生の中のある地点で STUCK してしまう”



ケースを観ながら、
この人は、いつもどんなところで STUCK してしまうのか?

それを考えているうちに、自分はどこで STUCK しているのか、
ということを考えたり、一緒に鍋の中で煮込まれている具材たちは
どこでSTUCKしているんだろう、と思うようになっていきました。


そうしたら自分が STUCK する地点が、少し見えてきたような気がした。
そして、周りの人のことも、ほんの少しだけど、ここでSTUCKしてるんじゃない?
って感じることがあった。



それが正しいかどうかは、まだわからないけれど。
自分のそれとはかけ離れた地点で STUCK している人のほうが
その様子を、はっきり感じることができるような気がした。


人を観ることは、自分をより深く観ることから始まるっていうこと。
それを身を持って感じられたのが、私にとって、このキャンプでの一番の

収穫でした。